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インバウンド刀剣ファンに響く外国語展示、2年目の模索――備前長船刀剣博物館 トゥミ氏に聞く

 岡山県瀬戸内市が運営する「備前長船びぜんおさふね刀剣博物館」(以下、長船刀剣博)に多言語支援員(学芸員補助)として2022年4月に着任した英国人トゥミ・グレンデル・マーカン氏。日本刀の魅力をもっと海外に伝えたいとの強い思いから来日し、2年が経過しようとしています。コロナ禍も落ち着きを見せてインバウンド(訪日観光客)が同博物館でも増えてきた中で、トゥミ氏は何を学び、刀剣の魅力をどのように発信してきたのでしょうか。トゥミ氏と、上司(同館主査)で学芸員である杉原賢治氏が2年目の挑戦を振り返ります。


(インタビュー内は敬称略)

刀剣製作のふるさと「知ってもらうこと」に課題

――前回のインタビューから1年余りが経ちました。その間に、ご自身の中にはどのような変化がありましたか?

英語による日本刀の解説ノートを手に説明するトゥミ氏

トゥミ まず、長船刀剣博の存在をもっと多くの方に知っていただく必要がある、と感じています。国内にある数少ない刀剣の専門博物館であるにもかかわらず、資料や職人の技術レベルなどについてもあまり知られていないと感じています。例えば、日本刀の製作に関する情報を発信しているユーチューバー(YouTuber)の方とお会いした時にも「いろいろ調べたけれど、刀剣専門の博物館や、長船刀剣博のことは知らなかった」と驚かれました。

 インバウンド客にしても、よほど日本文化に興味がある方でないと、なかなか長船まではやって来ません。そもそも岡山県は、広島市や兵庫県姫路市といったメジャーな観光地に挟まれているせいか、存在感が薄めです。もっと多くの方に長船の存在を知っていただく必要があると痛感しています。

杉原  インバウンド回復に伴い、外国人観光客ツアーなどを案内に加え多言語支援を行うことが、トゥミさんの主たる業務です。外国人観光客ツアーを案内するトゥミさんの様子がテレビなどで取り上げられるようになり、外国人のツアー客などを案内する機会も増え、長船刀剣博への来館者も増えてきています。しかし受身的なPRがほとんどで、大々的なPRはできていません。

 X(旧ツイッター)やフェイスブックで国宝の刀剣「太刀 無銘 一文字 (山鳥毛さんちょうもう)」のふるさととして「山鳥毛 里づくりプロジェクト」などの情報発信もしていますが、美術品や武器としてはもちろん、文化財としての価値を発信していくには、さらに発信力を高める必要があると思っています。

長船刀剣博の展示室には現地で1000年以上前に生産された刀が並ぶ

長船だから産地ならではの情報発信が可能

――インバウンド客が戻りつつありますが、海外からのお客様と接する中で、どのようなことを感じていますか。
 
トゥミ 特に多いのはフランスからの団体客で、外国人来館者の約7割を占めます。私自身はフランス語が得意ではないので、瀬戸内市役所に在籍するフランス出身の職員にも協力してもらいながら対応しています。米国からのお客様も多く、職人さんの作業を見て「この刃文はどのように作られるのか」といった深い質問をされることも多くなりました。
 
 これは外国人に限らず日本人でも同じかと思うのですが、単に展示されている日本刀を見るだけではなく、鍛えるところを見たり、職人や刀剣の所有者に関するエピソードなどを織り交ぜて説明したりすると、刀剣に興味がない人でも相当に興味が深まるようです。限られた時間の中で、そのような背景もできるだけ知ってもらえるように心がけています。
 
杉原 もともとアニメやゲームなどで日本刀に興味を持つフランス人が多いのに加え、フランス・パリで「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」が開催されたことも大きなインパクトを残したようです。2023年度は約1800人の外国人客が来館しましたが、このうちフランス人が1100人超と圧倒的でした。
 
 単に「美術品としての日本刀を見る」だけなら大英博物館でもできますが、長船は日本刀の産地です。この地域でどのように刀がつくられてきたのか、刀鍛冶はどこで刀を打ったのか、近隣にどのような刀鍛冶に関する史跡が残っているのかなど、すべて長船でしか得られない情報です。展示の説明文などにも刀鍛冶に関する詳細な情報を記載し、作品のバックグラウンドをきちんと伝えられるのは長船ならではだと思います。

隣接する鍛刀場では刀鍛冶が実際に鋼を鍛えている様子を見られる
(提供:備前長船刀剣博物館)

必要な情報にアクセスしやすい2段のキャプション表示

――多言語展示に向けた具体的な取組や、その成果は?
 
トゥミ 2023年2月ごろから、英訳された説明文をスマートフォンで読み込むQRコードを設置し始めました。スマホでスキャンすると、英語を元にフランス語、ドイツ語、中国語(繁体字と簡体字)で説明文が、スマホに自動翻訳機能によって表示されます。一方で、紙に印刷した説明文も配布しているので、スマホを持っていなくても英語で読むことはできます。こうした取組をもっと進化させたいと考えています。

 杉原さんの書いた説明文(キャプション)は2つのレイヤー(層)に分かれていて、前半は刀剣の作り手だった刀工について、後半は学芸員(杉原さん)が注目してほしい見どころが書かれています。刀剣の基本的な知識を得たい方なら後半だけ読む、深く学びたい方なら全文を読んで理解を深めるといった楽しみ方もできます。

英語のほか来館者の多いフランス人向けに仏語の案内もQRコードで表示

杉原 近年では、刀剣を見る立ち位置の表示やキャプションに絵を入れるなどの工夫してきましたが、トゥミさんが来てからは彼の意見を聞いて少し見せ方を改良しました。例えば、よくある美術館・博物館のように日本語のキャプションの下に英語で書くのではなく、2023年1月から日本語の説明の横に英語での説明書きを置く方式に変更しました。

英語のキャプションは日本語の解説文とは分けて横に置いた

トゥミ あまり情報が多すぎると、かえって読む気がなくなるものです。必要な情報は何か、どんなことを知りたいのかなど、個人のお客様をご案内する際には意見をいろいろと聞くように心がけています。「他の博物館と比較して長船刀剣博は初心者向けの説明が多くわかりやすい」「刀を見る時の立ち位置などに関する説明があって、より深く楽しめた」と、ほめていただくことも多くなり、工夫を凝らしてよかったと杉原さんとも喜んでいます。

身長に合わせて見る位置を前後させると刀の表面が見やすいと外国語でも紹介している
トゥミ氏はわかりやすい説明を心がけるとともに、
何が足りないかもインバウンド来館者から聞き取ってきた

杉原 実際にアンケートでは「楽しめた」と答えてくださる来館者が以前よりも増え、再訪する人も多くなりました。一番大きな変化は、海外からの問い合わせが増加したことです。日本刀の専門博物館として認知され始めたようで、例えば「これは本物の日本刀か」とメールで写真とともに問い合わせが来ることもあります。長船を訪問したインバウンド客からの評判・口コミや、SNSなどを通じて広がっているようです。

トゥミ イギリスの刀剣に関するネットワークでは、私が長船にいることが知られているので、そのせいもあるかもしれません。海外の日本刀好きのネットワークはけっして大きいとは言えませんが、つながりが強いので情報が広がりやすいと思います。

英語、フランス語、ドイツ語、中国語の4か国語で解説している

杉原 コロナ禍前の外国人来館者数は年間で約2000人でした。2023年はその約8割程度まで回復した状態になります。世界的な旅行需要の回復により、今まで来られなかったインバウンド来館者が、2024年度からはさらに拡大するでしょう。また、フランスだけでなく米国や英国など英語圏からの来館者も増えてきています。これもトゥミさんが英語で刀剣文化を発信して裾野を広げてきたPRの成果です。

鍛造のみならず金工や鍔工など優れた日本の技術も紹介

――今後の展望をお聞かせください。
 
トゥミ 私自身は金属学を学んだ経験もあり、日本刀についても学び続けていますが、当然まだまだ知らないこともたくさんあります。日本刀に関する勉強は一生続けるでしょう。説明文の英訳についても、仕事というより自分の勉強のためにやっているような感じですが、結果的には来館者が長船刀剣博をより楽しむために役に立っているようで、うれしいですね。

 今後も来館者から「こんな仕組みがあればいいのでは」といった意見はもちろん、「もし自分がお客様の立場だったらどんなことを知りたいか」といった視点も大切にして、良い展示を続けていきたいと思っています。

備前長船刀剣博物館の入り口に立つトゥミ氏と杉原氏

杉原 鋼の鍛造技術は海外にもありますが、2000年もの長きにわたる歴史と、美しい研磨技術が共存するのは日本だけです。スマホの背面に使われる鏡面加工も、日本の新潟県の燕市や三条市などで現在でも見られる研ぎによく似た技術です。

 他にも金工、つば工、木工、漆芸など、日本刀には日本の優れたたくみの技術が集約されており、今は再び国内のみならず海外でも高く評価されています。この技術をもっと世界に広めることを、トゥミさんと一緒に進めていきたい。

 「情報が多すぎるとかえって読んでもらえなくなる」というトゥミさんの指摘していたように、今後はバランス考えながら、何を残して何を削っていくかを検討していく段階になるかもしれません。

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 長船刀剣博は、コロナ後に増え始めたインバウンドの来館者が、さらに日本の刀剣文化に興味を持ち、この場所を訪れたことで新たな魅力に目覚めるきっかけを提供しようと、館内の改修による展示の再構築や、刀剣文化をアピールできる新たな土産品の制作や見直しに乗り出している。トゥミ氏、杉原氏らは試行錯誤を続けながら、「日本の刀剣文化を世界が理解できる“共通言語づくり”に挑んでいる。

多言語支援員 トゥミ・グレンデル・マーカン氏 2022年4月より「多言語支援員」に着任。博物館の多言語化や刀剣文化の海外への発信などを行う。出身のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)では考古金属学を専攻。

学芸員(備前長船刀剣博物館 主査)  杉原賢治氏 2017年に瀬戸内市役所に入職。学生時代は考古学を専攻。テーマ展をはじめ、2023年度(令和4年度)の夏季特別展「長船の系譜 ― 700年の栄枯盛衰 ―」や2024年度の夏季特別展「戦乱と流行 ― 南北朝時代の刀剣 ―」などの2018年度(平成29年度)以降のほとんどの企画を担当。

(聞き手・文・写真:山影誉子、構成・編集:三河主門)


※扉の写真は備前長船刀剣の里で鋼を鍛えている3人の刀職(提供:備前長船刀剣博物館)

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