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北斎美術館で培った墨田区の「未来へ続く資金の集め方」

 地域文化の語り部でもある全国各地の文化施設。地域に根付いている博物館や美術館は、分野・歴史の情報や所蔵品を次代へと伝えるための「永続する経営」が求められます。中でも「いかに資金を手当するか」は、公立・私立の区別なく大きな課題です。資金集め(ファンドレイジング)の手法として注目される「ふるさと納税」などの活用で注目を集める「すみだ北斎美術館」(東京都墨田区)の事例を検証してみました。


世界に知られる「HOKUSAI」の生誕地にできた美術館

 江戸後期の代表的な浮世絵師として日本だけでなく世界的にも「HOKUSAI」の名で知られる葛飾北斎(1760〜1849年)。『冨嶽三十六景』をはじめとした浮世絵・絵画作品は世界的にも高い評価を得て、19世紀後半にヨーロッパの美術に大きな影響を及ぼした人物とも評される。

 北斎はその90年という長い人生のほとんどを、自身が生まれた現在の東京都墨田区で過ごしたと言われている。その北斎ゆかりの地である墨田区で2016年(平成28年)、JR総武線・両国駅から徒歩9分の立地にオープンしたのが「すみだ北斎美術館」(以下、北斎美術館)だ。

AURORA(常設展示室)では北斎の代表作の実物大・高精細レプリカやタッチパネルモニターなどで北斎の生涯と人物像を紹介している(提供:すみだ北斎美術館、撮影:尾鷲陽介)

 北斎自身とその門人たちの作品を中心に展示・紹介する同美術館には、北斎の世界的な知名度を反映して海外からも多く観光客が訪れる。

 同館の設計・デザインは、米プリツカー賞やヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展「金獅子賞」など数多くの受賞で知られる日本人建築家ユニット「SANAA」を立ち上げた妹島和世(せじま・かずよ)氏が担当。小さい施設ながらアルミパネルで覆われた斬新な外観デザインを持つのが特徴だ。

困難のりこえプロジェクト始動も、資金不足で暗雲

 しかし、北斎美術館は開館にこぎ着けるまで多くの困難にぶつかってきた。「北斎美術館のプロジェクトは1989年(平成元年)に始まりましたが、バブル経済がはじけた後でもあり、墨田区の文化事業施策としては計画中止も危ぶまれていたそうです」と振り返るのは、墨田区の地域力支援部文化芸術振興課の吉田英宣・主査だ。

 プロジェクトとしてはそんな低空飛行を続けながら、本格的に建設に向けて動き出したのが2014年だった。当初の想定で、墨田区は16億円程度の予算があれば完成できるとの見積りを立てていた。そのレベルの額を想定して入札を実施したものの、入札の結果ではほとんどが想定予算の2倍以上の金額だったという。東日本大震災の影響により、復興に向けて工事費や資材費が急騰したことが原因だ。

 「年度当初に予算を固めたのに、入札をかけたら倍ぐらいかかると判明したので当然、議会からは指摘を受けました。予算の問題により、美術館を建設するべきか否かと、議論が2年ほど続いたそうです」と、吉田氏は経緯を説明する。

 建設の可否を再検討する議論が始まった最初の1年で、墨田区は区長と職員が建設資金を寄付してもらえそうな企業や団体を地道に訪ね歩いた。どうにか2億円は集めたものの、まだ3億円ほど足りない状況だった。「残りあと1年で集める必要がありました」(吉田氏)。

AURORA(常設展示室)の入り口にはプロジェクションマッピングを活用して
墨田区についての解説も行う(提供:すみだ北斎美術館、撮影:尾鷲陽介)

ファンドレイジングの「典型的な事例になりうる」

 困っている時に、地元の経営者から紹介されたのが、当時、特定非営利活動法人(NPO)やソーシャルビジネス専門のコンサルティング企業であるファンドレックス(東京都港区)を代表として率いていた鵜尾雅隆(うお・まさたか)氏だったという。

 団体や自治体向けに数多くのファンドレイジング活動を支援していた鵜尾氏には、北斎美術館の資金不足問題が「ファンドレイジングの観点からは1つの典型的な事例になりうる」と考え、協力することを申し出たという。墨田区はファンドレイジングのマスタープラン作成について、ファンドレックスと委託契約を交わした。

 当時は議会などでも北斎美術館をめぐる議論が煮詰まっていた。北斎の世界的な知名度が持つ“価値”は、世界中からファンを集めることが間違いない。吉田氏は「議会では、美術館建設は区の財政運営に支障をきたすのではないか、若い区民のために保育園を整備するなどの方が先決ではないか、という議論があったそうです」と当時の状況を説明する。

すみだ北斎美術館は建築家の妹島和世氏が設計・デザインした
(提供:すみだ北斎美術館、撮影:尾鷲陽介)

議論のレイヤー変え「脱・泥舟」へ、区を挙げて世界を相手に

 ファンドレイジングを引き受けた鵜尾氏が最初に指摘したのは「泥舟に乗っかるような寄付を続けることはやめましょう」だったという。沈むような泥舟に資金を集めようとするような寄付のスキームでは、お金を出したいと考える人は増えないのは明白だ。

 鵜尾氏は「レイヤー=次元が違う議論を展開する必要がある」と主張し、「単に寄付を募るのではなく、『北斎の生誕地である墨田区が、北斎の美術館を作らないでどうする? 北斎ゆかりの地だからこそ、世界中から人を呼べる美術館をつくりましょう」という、前向きで人々を鼓舞するような考え方でファンドレイジングを進める必要性を強調したという。

 「つまり、北斎キャンペーンを展開するのだ、レイヤーを変えた議論に持ち込もうという発想の転換です。区はこの考え方を受けて、次の1年間の行動指針としたそうです」と吉田氏は述べ、「この考え方は現在でも維持していて、結果として多くの方から資金を集めることが可能になりました。これは自慢してよいことだと思っています。文化施策にとっては、この発想こそが肝だと考えています」と付け加える。

ふるさと納税で「すみだブランド」を活かす

 北斎美術館が資金集めの面で先行した事例が、もう1つある。「ふるさと納税」の活用だ。ふるさと納税の仕組みを活用して北斎関連事業のために墨田区が集めた資金は、2022年度分で約9億7000万円であり、これが施設運営費などに充てられている。

開館時には関東大震災で消失したとされる「須佐之男命厄神退治之図」を
実物大で推定復元した(提供:すみだ北斎美術館、撮影:尾鷲陽介)

 ふるさと納税を始めたきっかけは、鵜尾氏からの提案であった。墨田区は、国内最大のふるさと納税総合サイト「ふるさとチョイス」を運営するトラストバンク(東京都渋谷区)と契約を交わし、事業を始めることになった。

 墨田区は産業観光部が中心となって、区内の製造業者がつくった製品のブランド化を目指す「すみだ地域ブランド戦略」を2009年から推進していた。“ものづくりのまち”でもある同区には高い技術力を持つ、特徴的な町工場が数多く存在する。

 「すみだブランド」では「江戸切子」や革製品など約200点を、2010年から2018年にかけて「すみだモダン」の名称でブランド認証した。

 それらがまず、ふるさと納税と結びついた。ふるさと納税といえば当時は、返礼品を肉や魚などの地域の特産品的な食品にするケースがほとんどだった。そういう名物がない墨田区には「寄付が集まるわけがない」と、区の担当者らも考えていたようだ。

 しかし、ふるさとチョイスで様々なケースや新しい事例をみていた須永氏は、墨田区が「すみだモダン」で認証した商品の品質を見て、「大丈夫です、集まります」と太鼓判を押したという。

集めた資金で北斎の作品購入なども可能に

 そこから墨田区は、ふるさと納税で単価が高い返礼品を次々と生み出していく。例えば、墨田区押上にそびえる東京スカイツリーの展望レストラン「Sky Restaurant 634」のお食事券は、寄付額が5万円からと高額ながら大きな人気を博した。墨田区内で革靴を製造するヒロカワ製靴が展開するブランド「スコッチグレイン」も、同区のふるさと納税では人気の返礼品の1つだ。

すみだブランドの製品で、ふるさと納税でも人気の高い
ヒロカワ製靴の日本製革靴「オデッサⅡ」(同社提供)

 墨田区で高単価の返礼品が多い理由を、吉田氏は「墨田区が長く『ものづくりのまち』として成り立ってきた歴史に加えて、ふるさと納税は返礼品を提供する事業者にとっては受注生産に近い形態のため、在庫を抱えるリスクが少ない点も大きなメリットなのです」と説明する。

 墨田区が以前から進めていた産業施策と、ふるさと納税の利点がうまくかみ合った結果として、高単価の返礼品で寄付額を伸ばす好循環が生まれていった。

 こうしたファンドレイジング手法は「文化発信や文化拠点施設との相性がいいと思います」と吉田氏は強調する。北斎美術館や北斎に関連してふるさと納税で集まった資金は施設運営のほか、北斎やその門人の作品や資料収集にも充てられている。

ガバメントクラウドファンディングでも経験を積む

 さらに墨田区は、北斎美術館が開館した翌2017年度に、すみだの地域を元気にする活動を応援する、「すみだの夢応援助成事業」を開始した。

 ふるさとチョイスを運営するトラストバンクが同じ頃に開始した「ガバメントクラウドファンディング」という仕組みを活用したものだ。これは寄付金の「使い道」を、より具体的にプロジェクト化し、そのプロジェクトに共感した方から寄付を募る仕組みである。

  すみだの夢応援助成事業は、地域の課題解決や地域力の向上につながる「新規性のある意欲的なプロジェクト」を募集し、採択された団体に「ふるさと納税によるクラウドファンディング」の機会を提供して、集まった寄付金を助成金として交付する。ふるさと納税サイト掲載手数料等を区が負担するため、団体は自己負担することなく、クラウドファンディングに挑戦できるのである。

 墨田区の事例では、2017年に実施した「障がい者就労支援エコモザイクアートプロジェクト(特定非営利法人エコ平板・防塵マスク支援協会が実施)などがある。

北斎の絵をモチーフに福祉作業所の人たちが政策したモザイクアート(提供:墨田区)

 またJR総武線の錦糸町駅に近いコンサートホール「すみだトリフォニーホール」を活動拠点とし、墨田区の音楽都市づくり事業の担い手として区とフランチャイズ契約を1988年に結んだ公益財団法人新日本フィルハーモニー交響楽団も、ガバメントクラウドファンディングを活用している。
 地元の墨田区民だけでなく日本全国からの寄付により、事業開始の2017年度から2022年度までの6年間で延べ24団体に総額約2億4655万円を助成してきた。

地域との連携が密な地方こそファンドレイジングに有利

 文化施設は地域の住民だけが利用するものとは限らない。地域外の人が利用に訪れるものも多く、それゆえに地域の文化観光の推進を担っていく拠点となりうる。墨田区は、不足した北斎美術館の建設・運営資金を、ふるさと納税やクラウドファンディングで「地域外の支援者からも資金を集める」という発想に転換したことで、ファンドレイジングに成功してきた。

 吉田氏は総括として、こう語る。
 「優れた技術を持つ『ものづくりのまち』や東京スカイツリー、葛飾北斎など、墨田区にある様々な“特色”や“地域資産”を掛け合わせて、ファンドレイジングの種づくりに工夫を重ねてきました。墨田区が歴史的に産業振興に力を入れてきたということも優位性につながっているのだと考えています。区の職員が事業者さんと一緒にお話をしながら、多種多様なプロジェクトを企画して交渉できる素地がある。墨田区で寄付が継続できているのは、こうしたチャレンジの成果だと受け止めています」

「地域との密接な関係が優位性になる」と語る
墨田区地域力支援部文化芸術振興課の吉田英宣・主査

 実際に墨田区は1970年代後半に、区職員が墨田区内にある事業者を訪れ、直接聞き取りながら製造業や商業の実態調査を実施した歴史があるという。当時、約1万社もあった区内事業者のほぼすべて訪問するという、墨田区役所内でも伝説となっている取組だ。

 中小製造業の事業所密集度としては当時「日本一」と言われた墨田区で、高度経済成長の後で経営が厳しくなる中、ものづくりの火種を絶やさないことを考えて実施した調査だったという。吉田氏は「経営者のみなさんと顔を合わせて人柄を理解し、彼らがやりたいことに耳を傾けた歴史が、墨田区の施策に活かされていると感じます」と話す。

 地域の事業者との密接な関係性は、地方でこそ生きる無形の資産かもしれない。墨田区の資金集めの背景にある地域との密接な関係性に基づいたコミュニケーションは、地方の文化観光でも資金面の課題を解決するヒントを秘めている。

(取材・文:西野聡子、文・構成・編集:三河主門)

※扉の写真はすみだ北斎美術館の外観(提供:すみだ北斎美術館、撮影:尾鷲陽介)


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