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日本六古窯の丹波焼「陶の郷」、文化観光で持続可能な窯元のあり方を探る

 「丹波焼」の窯元で宿泊体験を――。兵庫県丹波篠山市の立杭たちくい地区にある丹波伝統工芸公園「立杭 すえさと」が2023年度(令和5年度)から本格的に文化観光に取り組み始めました。日本を代表する古窯が、新たな時代にどう生き残るかがテーマ。宿泊施設のない土地ながら、「窯元に泊まる」という新基軸を打ち出しました。


 日本文化の源流の1つとして愛されてきた陶磁器。中でも平安時代末期から生産が始まった、堅くて耐水性に優れた焼締やきしめ陶器は、兵庫県 丹波篠山市の「丹波焼」をはじめ全国に6か所ある「日本六古窯にほんろっこよう」で長く生産されてきた。

「見る・買う・つくる」が楽しめる陶器の郷

 六古窯とは丹波のほか越前・瀬戸・常滑・信楽・備前にある各産地だ。中でも丹波焼は約850年の歴史がある。その生産地である丹波篠山市の立杭地区で1985年(昭和60年)に開設された「陶の郷」は、古丹波焼から現代の作品まで展示する。「見る」「買う」だけでなく、陶芸体験で「つくる」ことも楽しむことができる総合施設だ。

陶の郷にある「窯元横丁」では約50ある窯元の作品を購入できる

 立杭地区にある丹波焼の約50の窯元の作品を展示販売する「窯元横丁」には、平日の午前中から買い物かごを抱えて買うべき器を吟味している来訪者が多くいた。主に大阪や京都など関西圏から来る人が多いという。

 全国の伝統的な陶磁器の産地は、後継者不足も大きな課題となっている。地元からも心配する声が出るものの、具体的な解決策は見つからないのが実情だ。丹波焼の産地も同様の悩みを抱える。

「土がない」危機感から始まった文化観光

 これに加えて、丹波焼には固有の課題があるという。丹波立杭陶磁器協同組合(以下、立杭組合)の市野達也・理事長は「陶磁器の原料となる土について、良質な土の担保、埋蔵場所などをしっかりと把握ができていません。地道な調査が必要とされる埋蔵量についても不明なのです」と打ち明ける。
 
 原料となる土が将来的に不足する事態になれば、仮に後継者が多く現れても古窯としての存続が危ぶまれる。「私たちにとって『土は命』です。今はまだ逼迫ひっぱくした状況にはなっていませんが、立杭の土が50年先もあるかについては誰も考えていませんでした」(市野氏)

 立杭組合の土をつくる工場は老朽化が進んでいた。工場を新設したいとの願いはあったものの、資金面の問題もありなかなか実現には至らなかった。将来への懸念が募る中、文化観光推進法の活用を勧められて、2021年から認定計画の作成に着手し、2023年に申請したという。

 「立杭地区の振興だけでなく、丹波焼の産地として全体が魅力ある地域になれば、と思ったのです」と、市野氏は文化観光の拠点計画の認定を申請した背景を説明する。

全ての陶芸家・陶工に聞き取り調査し計画づくり

 計画申請までに1年以上の時間をかけたのは、そのプロセスで「将来この地域をどうしていきたいのか」をより多面的に話し合うためだった。具体的には、約50ある全ての窯元で陶芸作家や陶工ら面談して聞き取り調査を実施したという。
 
 直接的には組合に言いづらいこともあるだろうと想定して、地域計画プロジェクトの中心メンバーで、地域づくりのコーディネート事業を手掛けるSatoyakuba(丹波篠山市)の田林信哉・代表に協力を仰いだ。田林氏を中心に入念なヒアリングを重ねながら、「立杭地区として、また丹波焼の産地として、どの方向に進むべきか」の意見を集約していった。

立杭地区の登り窯は陶の郷より徒歩10分程のところにある

 文化観光のスタート年度となった2023年度は、立杭組合がまず拠点計画事業としての基本計画の土台をしっかりと整えるという。自らも窯元「伝市窯」を営む市野氏は「陶の郷を実際に活用するのは窯元の組合員です。彼らに『ここが自分たちの拠点だ』と自覚してもらうことが大事だと考えています。丹波焼の産地としてリアルな部分を常に展示内容に反映することで、来訪者が繰り返し来ていただくのが理想です」と強調する。

企画・運営に専門家との連携を模索

 これまでは組合が企画から運営、イベントまで全てを担ってきた。だが時代の変化が激しい今、それぞれに高度な専門性が求められるようになっている。立杭組合として長期ビジョンを策定するのも初めてであり、「多様な専門家にも入ってもらわないと、窯元だけの運営では成り立たない」と、丹波焼の「宮ノ北窯」を主宰する立杭組合の今西公彦・理事は述べる。

今西氏が主宰する「宮ノ北窯」。
丹波焼の源流を探求した作品は工房兼ギャラリーでも見ることができる

 市野氏も「専門家に委ねるところは委ね、我々の意見は伝えつつ学びも進めていきたい」と話す。文化観光のコーチや専門家、文化庁の調査官などから「先進的な事例や成功事例、知見を聞いてインプットできるのが一番ありがたい」と期待を込める。

 「どういう成り立ちで丹波焼の文化が育まれてきたのか。その価値を改めてしっかり掘り下げたい。同時に、様々な外部の人を巻き込む中で、地域の活動や意識を少しずつ変えていって、“より良いさと”に発展するように協力していきたい」と意気込む。

窯元で丹波焼の世界に浸る「陶泊」体験

 文化と観光を両輪で回していくことで地域の賑わいと経済的な刺激を創出していく文化観光の施策の1つとして、立杭組合が企画しているのが、2024年4月からスタートする陶泊とうはくだ。

 丹波焼の職人の工房に泊まり、土づくりから作陶を体験できる、「陶芸版の農泊」といえる取組だ。同年2月1日から募集を始めた。応募者の中から抽選で、毎月限定で1組が陶泊に参加できる。

 丹波焼の職人の工房に泊まり、土づくりから作陶を体験できる、「陶芸版の農泊」といえる取組だ。同年2月1日(宿泊は同年4月以降)から立杭組合が募集を始めた。

 宿泊者をもてなさなければならない窯元の日常は、本業があるため、受け入れのキャパシティも限られる。そこで応募者の中から抽選で、毎月限定で1組が陶芸家の大上裕樹氏が主宰する「昇陽窯しょうようがま」に宿泊できる。

 1泊2日で、定員は3人まで。料金は大人2人の場合が約11万円(2024年3月現在)。大人2人+小人1人なども可で、焼きものづくりに興味がある人の宿泊を想定している。
 
 工芸ツーリズムの先駆者であるトランクデザイン(神戸市)の堀内康広代表やミテモ(東京都港区)の澤田哲也代表から提案を受けて体制づくりに当たった田林氏は、「作陶だけでなく、丹波焼の背景もわかりやすく伝えたい。それには立杭で夜も朝も含めて、ゆったりと過ごしていただくのが一番だと考えました」と企画の狙いを説明する。

陶芸に興味がある人に「弟子入り体験」提供

 現状では立杭地区に宿泊施設はない。だが、「窯元さんのお宅に泊まれるような深い体験ができないか」という地域の提案を、田林氏は非常に魅力的に感じたという。

 陶芸が趣味の人や、土づくりに興味がある人たちに、窯元の暮らしに溶け込む体験を通じて、地域の価値を理解してもらう。そうした宿泊体験こそが丹波焼への理解を深めるきっかけになると考えたのだ。
 
 陶器づくりが初めて人にも、器の成形だけでなく、工房のいとなみそのものを感じてもらいたいという。「弟子入りのような体験で、より深く丹波焼に触れてもらえる」(田林氏)との発想だ。

宿泊者を受け入れる「昇陽窯」の大上裕樹(右)・彩子さん夫妻
丹波立杭陶磁器協同組合のプレスリリースから引用)

 丹波焼の産地は窯元同士のつながりも魅力の1つだという。そこで宿泊の前後には、若手の陶工たちがガイドとなって窯元を巡るツアーなどを実施し、地区内を案内するプランを計画している。窯元への1泊2日で弟子入りのような体験と作陶、ガイド付きツアーを体験してもらい、宿泊の夕食も陶工らと食卓を囲みながら話をじっくり聞ける流れだ。

自分がつくった器で料理を楽しむプレイベント

 立杭での滞在交流のテストケースとして、2023年5月には山に入り土から取りにいく、器と食の「陶泊」のライト版的なイベントも実施したという。Satoyakubaが中心となり開いた「鶸色ひわいろのひとしな  Craft and Food 」だ。自分で器をつくって、丹波篠山産の素材を使った食事を器にのせて楽しむという交流イベントだ。

新緑の季節に開かれた「鶸色のひとしな Craft and Food」の風景。
自分で作った器で産地の食を楽しんだ

 このイベントには地域の人々を中心に20人が参加。「新緑の季節を丹波焼で味わう」をテーマに、 “土を取りに行き、自分で作った器で食事を楽しむ”を体験してもらった。「食事は登窯の丘の、景色が良い場所をセットしました」(田林氏)
 
 参加した陶工からは「イベントの運営に向けて力を合わせたことと、外の方々と交流することが楽しかった」との声が聞かれたという。「料理人を呼んできたり、立杭以外のお客様を招いたり。中には情報発信力が強い人もおられるので、こうしたイベントで注目が集められると学ぶ経験になりました」と、市野氏は振り返る。

他の産地にない丹波焼の強み

 他の産地・古窯にはない丹波焼の強みについて、市野氏は次のように解説する。

 「丹波焼には問屋制度がありません。だから買いたたかれる心配がなく、自分で決めた価格で販売できるのが、他の産地との違いです」
 
 反面、「知名度の点では全国的になっていない」と、今西氏は残念がる。関西ではよく知られている丹波焼だが、全国的な認知度は決して高くない。「関東で丹波焼を説明すると『それっておいしいの?』と、せんべいと勘違いされたこともあり、思わず倒れそうになりました」と今西氏は苦笑する。

市野氏が営む「伝市窯」。植物に合わせ様々な形の植木鉢をつくっている

「地域で使うやきもの」として流通させて発展してきた歴史があるため、主に関西の市場に絞って商いを進めてきたため、規模が拡大しなかったという。その理由を、今西氏は「丹波焼が『半農半陶』であったことが原因だと思います」と解釈している。

 丹波焼は戦時中に軍事向けにも活用され、鉄の代わりに陶器で地雷を作ったこともあった。そうして時代に合わせて陶器の使い道を見いだし、つくるものを変えてきた歴史は、もともとは農業が主力であり、陶器づくりは副業であったことも物語るという。

時代に合わせて「ものづくり」できる柔軟性

 一方で、時代の流れに沿って柔軟なものづくりをしてきたのが丹波焼の歴史ともいえる。「丹波焼は地元にある土の特性を生かし、その時代時代を象徴した作品を残してきている産地なのです」と今西氏は熱く語る。

左からSatoyakuba の田林信哉・代表、丹波立杭陶磁器協同組合の今西公彦・理事と市野達也・理事長

 立杭地区の丹波焼を基軸にした文化観光への挑戦は緒についたばかりだ。全国から人を集められるように知名度を高め、その価値を持ち帰ってもらうとともに次なる誘客へとつながる循環をどう生み出せるか。さらに作陶の要である土づくりの体制整備も急務だ。

 限りある地域の資源を活かして、いかに丹波焼の価値を理解してもらうか。トライ・アンド・エラーの積み重ねが始まろうとしている。
 
 
(取材・文:西野聡子、文・構成・編集:三河主門)
 
※扉の写真は、兵庫県の重要有形民俗文化財に指定された丹波焼立杭地区にある最古の「登り窯」

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