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朝ドラ『らんまん』を素早く活かす高知県、文化観光の起爆ネットワーク築く力(前編)

 2023年(令和5年)4〜9月期に人気となったNHKの連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『らんまん』。テレビ離れが進む昨今でも幅広い世代から人気を集めるNHKの朝ドラや大河ドラマは、その物語や主人公にゆかりの土地が日本中から注目され、文化と観光の大きな起爆剤になります。

 『らんまん』を迎えた高知県も、放送をきっかけに観光や経済が大きな刺激を受けています。単に幸運がふってわいたからではありません。実は、この種のチャンスに素早く対応する仕組みが高知県にはあったのです。その秘密を前編・後編の2回にわたり、ひも解きます。


 2023年11月の高知市内。商店街の通り道や各店、道の駅などの観光スポット、さらに県内各地の博物館や美術館などの文化施設といった拠点のあちこちで、「牧野博士の新休日」と書かれたのぼりやポスターを見かける。

 「牧野博士」とは高知県出身の植物分類学者、牧野富太郎まきの とみたろう(1862〜1957)のことだ。

 2023年の4〜9月に放送されたNHKの朝ドラ『らんまん』の主人公「槙野万太郎」のモデルとなった人物である。その名を冠した「牧野博士の新休日」とは、高知県が県内の市町村や文化施設、観光拠点を巻き込んだ観光博覧会プロジェクトの呼称でもある。

晩年の牧野富太郎のポートレートは笑っている表情が多い
(提供:高知県立牧野植物園)

来園者はコロナ禍前の2.1倍、観光客は県内各地に波及

 高知市中心部から車で約20分。市内向けのテレビやFMラジオの電波塔などが頂上にある「五台山ごだいさん」(標高146メートル)という小高い山の上に、高知県立牧野植物園はある。平日でも午前9時の開園から多数の観光客が訪れ、駐車場には大型バスも並ぶ。

 NHKの朝ドラ担当者からの調査依頼や高知県でのロケについて牧野植物園で窓口となった植物研究課の小松加枝・牧野富太郎プロジェクト推進専門員は「やはり朝ドラ効果で来園者数は勢いよく増えています」と明るい表情だ。

 知名度がもともと高かった人物とは言えない。「放送前に実施したアンケートでは県外で牧野富太郎を『知っている』と答えた人は、ほとんどいませんでした。でも放送のおかげで、2023年度の4〜12月は過去最高の入園者数を記録しました」と小松氏は話す。2023年度通年の来園者数はコロナ禍前の2019年度比で2.1倍以上になる見通しだ。

牧野植物園の来園者数は2023年度に入り急伸している
(高知県立牧野植物園がまとめた数字を元に作成)

 『らんまん』の本放送は2023年9月末に最終回を迎えたが、10月以降も高知県を訪れる観光客数はさらに増えつつある。

 高知県によると、県外からの観光客の増加は牧野植物園だけではなく、高知県全域に波及しているという。牧野博士の出身地であり幼少期を過ごしたとしてドラマのロケもあった高知県佐川町の2023年1〜10月の来訪者は、前年同期に比べ5倍超に急伸した。

生誕地・高知県佐川町のツアーも人気

 同町の中心部には「牧野公園」や、牧野博士の生家にゆかりの酒蔵などもあり、多数の団体客が地元のツアーに参加している。

 佐川町の「さかわ観光協会」が提供するツアーは2種類あり、「牧野富太郎コース(1組3000円)」は博士が子供の頃に遊んだ場所や生家をめぐり、ガイドが博士のエピソードを交えながら街の中を案内する。「歴史散策コース(同)」は江戸時代の城下町を歩き、重要文化財「竹村家住宅」のほか数多く残る古民家や酒蔵などをめぐり歩く。

 朝ドラの放送が決まる前から、佐川町では2023年6月に道の駅がオープンすることが決まっていたという。その「まきのさんの道の駅・佐川」を11月半ばに訪れてみると、食事や買い物で訪れる客や、隣接する「佐川おもちゃ美術館」を訪れた多くの子供たちで賑わっていた。

牧野博士ゆかりのお土産品や地場産品が並ぶ「まきのさんの道の駅・佐川」

突然の「放送決定」も慌てず、協議会を2か月で立ち上げ

 「むしろ放送が終わった直後が、来県するファンや観光客が増えることが過去の経験則からもわかっていました」と話すのは、高知県観光振興部観光政策課の仙頭裕貴・課長補佐だ。

 高知県は1988年に朝ドラ40作目となった『ノンちゃんの夢』(主演・藤田朋子さん)の舞台になったほか、2010年には大河ドラマ『龍馬伝』(主演・福山雅治さん)の主人公である坂本龍馬の出身地でもある。いずれの作品も、放送をきっかけに高知に注目が集まり、多くの観光客が放送終了後にも県外からやってきた。

 そうした経験から仙頭氏は、「今回の『らんまん』の決定後も、放送終了後を見据えて1年間+アルファで観光客の誘致策を立ち上げる必要があると考えました」と、2022年2月に新たな推進体制を模索した頃を振り返る。

 NHKが『らんまん』の放送決定を発表したのは2022年2月2日だった。牧野植物園に『らんまん』の放送決定が伝わったのも「1〜2日前に、川原信夫・園長のみに連絡があったそうです」と小松氏は話す。

 突然の放送発表ではあったが、高知県はそこからが早かった。

 高知県が観光博覧会としての「牧野博士の新休日」の枠組みを決めるまでにかかった期間は約2か月。その間、県内の市町村や文化施設や観光施設、関連の団体や地元マスコミなどの関係者全員に参加を打診し、それを「連続テレビ小説を生かした博覧会推進協議会」(以下、協議会)に組織化して設立総会を開いたのは、2022年の5月下旬だ。全国的にも例のないスピードといえる。

 総会は129団体・企業から関係者が集う。「関係者が多いほど調整や意見集約に時間がかかりますが、高知県は過去に何度も博覧会形式で観光連携を推進してきた実績があります。その経験を今回の朝ドラでも発揮できたと思います」と仙頭氏は話す。

県を挙げて「朝ドラをコロナ後の観光起爆剤に」

 観光博覧会「牧野博士の新休日」で3つの目標を掲げた。

  1.  草花を育む博覧会を通じて高知県内の各地域が(コロナ禍後に)元気を取り戻す

  2.  牧野博士が生涯を捧げた草花をテーマにした観光地づくりを進める

  3.  ドラマの内容に親和性の高い「女性」「若者」などを観光客として取り込み高知ファンを増やす

 これまで高知県の観光シーンでは、幕末の志士・坂本龍馬が中心だった。歴史モノがテーマとなるだけに50〜60代以上の男性が観光客のメイン層だったという。しかし、『らんまん』なら路線を変えられる。

 「牧野博士が追い求めた草花は、女性にも興味をもってもらえて浸透しやすいうえ、主演が神木隆之介さんと浜辺美波さんという若い世代にも人気の2人です。観光客の幅を広げるチャンスだと考えました」と、観光プロモーションを担当する高知県観光政策課の飯田聖子チーフが説明する。

3つのレイヤーから観光客を県内各地に拡散する

 牧野植物園の小松氏は「単に牧野植物園を中心に観光客を集める、知ってもらうという視点にとどまらず、県内の自治体や文化施設が手を携えて草花をテーマとした観光誘客を進めた点も、今回の協議会の特徴だと思います」と指摘する。

 博覧会を推進した協議会は、集客のメインエリアとして「牧野植物園」と、『らんまん』で何度も登場した牧野富太郎の生誕地である佐川町、また牧野博士が植物採集によく訪れた高知県越知町の「横倉山自然の森博物館」の周辺を、集客機能の拠点エリアとして打ち出した。これを博覧会の核となる「第1層(レイヤー)」とした。

観光博覧会「牧野博士の新休日」は集客のメインエリア・コンテンツを3層で想定している
(出所:高知県)

 その第1層からさらに高知県内の観光へと足を伸ばしてもらおうと、「第2層」として県内各地で植物・草花を体感できる観光スポットや公園を設定した。県東部の北川村にある「モネの庭・マルモッタン」や、県北部の仁淀川町にある「ひょうたん桜」、県西部の三原村にある「ヒメボタンの里公園」など、牧野博士が植物採集に訪れた室戸岬周辺など東西に長い高知県の各所にある“牧野博士ゆかりの草花体感フィールド”へと導く作戦だ。

 さらに、各地域で観光の核となる資料館、博物館、観光施設を「第3層」として設定。高知城歴史博物館(高知市)や龍河洞(高知県香美市)などの有力スポットだけでなく、フィギュア制作で国内最大手の海洋堂(大阪府門真市)が運営する「海洋堂ホビー館」(高知県四万十町)やカヌー体験(高知県いの町)、さらに各地でのグルメへと誘うような文化と観光の連携をプロモートしてきた。

牧野植物園の専門員が県内自治体をレクチャー行脚

 こうして観光客の裾野を広げるために、高知県観光政策課は県内の自治体担当者やガイドスタッフ向けに「自分がいる市町村内に、どんな植生があり、その特徴的な草花がいつ見頃を迎えるかなどを知ってもらう勉強会も実施しました」と仙頭氏は話す。

牧野富太郎記念館 本館の中庭にあるタイワンマダケ。園内には3000種類以上の植物のほか、
牧野博士が収集した国内外の標本を収蔵する標本庫がある

 講師となるのは、牧野植物園で研究する専門員らだ。2022年9月に草花知識・植物ガイド専門チームを発足させ、県内の各市町村に出向いて、牧野博士に関連する植物や各地域の植物について現場で観察会などを開いた。さらにそうした植物を紹介するガイドルートの構築や、そのための調査なども実施した。

 特に、牧野博士が情熱を注いできた植物分類学の基礎である「分類とは」「学名とは」といった基本的なところから専門員らが説明してきたという。牧野植物園の小松氏は「観光客に牧野博士の業績を知っていただく上でも、欠かせない要素だと思ったからです。そこを深く理解できて『らんまん』をさらに楽しく見られました、という意見を多くいただきました」と話す。

 これらに加えて同園の専門員は、牧野博士にちなんだ解説の表示看板の校正なども担ったほか、将来にわたって各地域の人が地元の植物を大切に育てていけるような知識も提供し、観光客の受入れ基盤整備にも尽力してきたという。

牧野植物園にあるバイカオウレンの案内板。ドラマ内で紹介された植物にはポップを付け、
園内デジタルガイド「まきのQRガイド」でも詳しく紹介している

全国の植物園で応援企画も

 牧野博士は94歳まで存命した長寿で、高知県内だけでなく全国を歩いた。国内各地にゆかりの土地が多いこともあり、公益財団法人・日本植物園協会(東京都北区)に加盟する全国の植物園でも、牧野植物園の協力の下で牧野博士にちなんだ展示や特集コーナーが立ち上がっていった。

 「各地で牧野博士の業績顕彰を紹介してもらい、全国的に高知県と牧野富太郎を意識してもらうネットワークが広がりました。これは集客面でも力になったと思います」と、小松氏は話す。

 高知県によると、博覧会「牧野博士の新休日」には植物関連だけで100件近い協力事業が積み上がっていった。放送が決定した2022年2月から放送開始の翌2023年4月までの1年余り。朝ドラ『らんまん』に端を発した“牧野フィーバー”は、こうした高知県サイドのスピーディーな対応力で盛り上がっていった。

 では、なぜ高知県は朝ドラという突然ふってきたチャンスに対応ができたのか。高知県観光政策課の仙頭氏は「慣れと連携ネットワークの強さが大きいと思います」と言い切る。本稿の後編では、高知県が文化と観光の連携をどう発展させてきたのかをリポートする。

※後編はこちら↓

(文・取材・構成:三河主門)

※扉の写真は高知県立牧野植物園にある牧野富太郎記念館 展示館の常設展示「植物の世界」コーナーにある展示館シアター


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