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なぜ、直島は「アートの島」といわれるようになったのか(前編)

Hiroshi Sugimoto, Glass Tea House ” Mondrian” , 2014 (c) Sugimoto Studio The work originally created for LE STANZE DEL VETRO, Venice by Pentagram Stiftung

香川県の高松からフェリーで50分。あたたかく穏やかな空気に包まれた瀬戸内海の島々に、世界的に有名なアートスポットがあります。瀬戸内の美しい風景と調和したアート作品や建築物が、島内のいたるところに点在する「ベネッセアートサイト直島」。これは、瀬戸内海の直島、豊島(てしま)、犬島を舞台に、株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人 福武財団が展開しているアートプロジェクトの総称です。

その中心拠点である直島の「ベネッセハウス ミュージアム」は、世界的にも珍しい、宿泊できる美術館です。時間を気にせず、館内に設置されたアートをゆったり鑑賞できるホテルであり、かなり先まで予約がいっぱいになっているほどの人気ぶりです。世界のメディアでも頻繁に紹介されており、国内外から多くの観光客が、豊かな自然とアートを楽しむために訪れています。

今でこそ多くの人が訪れる直島・豊島・犬島ですが、高度経済成長期以降の日本全体の急速な工業化・近代化や都市の一極集中化により、環境汚染や自然破壊という負の遺産を背負わされる側面がありました。そんな直島・豊島・犬島が、世界に名だたるアートスポットになるまでには、どんなストーリーがあったのでしょうか。

ベネッセアートサイト直島のインターナショナル・アーティスティック・ディレクターの三木あき子さんにお話を聞きました。

三木 あき子氏
<プロフィール>パレ・ド・トーキョー(パリ) チーフ&シニア・キュレーター(2000-14年)、ヨコハマトリエンナーレ2011アーティスティック・ディレクター、同2017コ・ディレクターなどを歴任。バービカンアートギャラリー(ロンドン)、BALTICアートセンター(ニューキャッスル)、台北市立美術館、ソウル国立現代美術館、森美術館、横浜美術館、京都市京セラ美術館、弘前れんが倉庫美術館など国内外各地の主要美術館のゲスト・キュレーターも数多く務める。

――三木さんは、1994年に直島で開催された「Open Air‘94 Out of Bounds―海景の中の現代美術」展の頃から、直島のプロジェクトに携われるようになり、30年近く島々の変化を見守って来られたと思います。直島・豊島・犬島は、もともと日本の過度な経済成長の負の遺産を背負わされた歴史があったようですね。

はい、直島・豊島・犬島をはじめとする瀬戸内海の島々は、1934年に日本で最初に国立公園に指定された美しい景観を誇る場所であったにもかかわらず、行き過ぎた近代化や都市化の負の側面として、豊かな自然がダメージを受けたりもしました。特に、豊島では、1970年代から日本最大規模の産業廃棄物の不法投棄事件の被害に悩まされる時期が続きました。また、犬島は、1900年代のはじめ、たった10年だけ操業した銅の製錬所が、銅の価格の暴落という、経済の浮沈に翻弄され、過疎化と高齢化が深刻化していきました。

――そうした状況は、1987年以降、まず直島から徐々に変わり始めることになります。「瀬戸内海の島に世界中の子どもたちが集える場を作りたい」と願っていた福武書店(現・株式会社ベネッセホールディングス)の創業者・福武哲彦氏が急逝され、その意志を継いだ息子の福武總一郎氏が、直島の一角に「直島国際キャンプ場」をオープンしました。これが、直島に対する人々のイメージを変えていくことになる大きな第一歩になったそうですね。

発端は、1980年代半ばに、そうした福武哲彦氏の思いと元直島町長の三宅親連氏の直島の南部を教育的文化エリアにしたいという思いが合致したことです。その後、プロジェクトを牽引することになった福武總一郎代表は、実際に直島の南部一帯を人と文化を育てるエリアとして創生する「直島文化村構想」を立ち上げ、当時、瀬戸内海の島々の自然が踏みにじられている状況に対して”怒り“と『何とかしなければ』という思いを募らせていったそうです。

1989年に安藤忠雄さんの監修によってつくられた「直島国際キャンプ場』には、カレル・アペルの屋外彫刻「かえると猫」も展示されましたが、直島において本格的なアート活動が進むのは、1992年の「ベネッセハウス ミュージアム」の開館からです。同館はホテルと美術館が一体になった施設ということで、世界的にもユニークなものでした。その後、ベネッセハウスの屋内外でのアート活動だけでなく、1998年からは本村という集落の中で展開する「家プロジェクト」がスタートし、また、2004年には新たな安藤建築である「地中美術館」がオープンします。

豊島美術館(写真:鈴木研一)

そして、こうした展開は、直島から、犬島・豊島に広がり、2008年には犬島では「犬島精錬所美術館」が、2010年には豊島で「豊島美術館」がオープンし、以降、直島だけでなく、犬島・豊島にも施設が増えていきました。さらに、2010年からは、これら3つの島をはじめ、備讃瀬戸の島々が「瀬戸内国際芸術祭」の会場にもなっていきました。
こうして、これらの島々は現代アートの聖地として、世界中から多くの人が訪れる場所に生まれ変わっていきました。

直島の方向性を決定づけた展覧会やプロジェクト

――直島のシンボルにもなっている草間彌生さんの「南瓜」をはじめ、島の自然や風景と組み合わせた野外展示が話題になっていますね。当時はまだ、野外にアートを展示するという取り組みは珍しかったのではないでしょうか?

ドイツのミュンスター彫刻プロジェクトや、日本にも彫刻の森美術館などもあり、現代アートの野外展示自体はありましたが、ただ、これだけの規模で美術館・ホテル建築と作品が海を臨む自然の景観のなかで一体となって展開するプロジェクトというのは、ほとんどなかったと思います。アメリカの1960-70年代のランドアートの試みなどともまた違いますし。

草間彌生"南瓜"(写真:安斎重男)
修復のため現在展示を休止しています。

有名な黄色い「南瓜」は、もともと、1994年にベネッセハウスで開催された「Open Air‘94 Out of Bounds―海景の中の現代美術」展で設置されたもので、豊かな自然の中で現代アートを見せるという本展の流れを受けて、「自然とアートと建築の融合」という直島の大きなテーマの一つが確立されていきました。

家プロジェクト「角屋」 宮島達男"Sea of Time ’98"

一方で、1998年から直島の本村集落のなかで展開する「家プロジェクト」は、アーティストが使われなくなった家屋などをアート作品として再生させるもので、地域の文化や歴史を掘り起こしていくような方向性を重視しています。そうした方向性におけるプロジェクトを通して、「時間」に対する問いや、「自然と人間の関係」、「生と死」といったテーマや、「時代に対するメッセージ性」などが明確化されていったように思います。

たとえば、「Open Air‘94 Out of Bounds―海景の中の現代美術」展で「海景」を展示し、また、直島の「護王神社」を再建した杉本博司さんは、壮大な時間軸のもと、時間に対する問いを追究し続けています。

大竹伸朗 直島銭湯「I♥湯」(2009)(写真:渡邉修)

また、直島銭湯「I♥︎湯」を手がけた大竹伸朗さんは、文明や時代の流れの中で機能を失っていく様々なものを使った作品を生み出しています。犬島にある「犬島精錬所美術館」の柳幸典さんの作品からは、過度の近代化批判や現代社会への疑問といったメッセージ性が強く感じられます。豊島は、「豊島横尾館」のように「生と死」をテーマにした作品が多いです。産業廃棄物の不法投棄により、一時期は「ごみの島」といわれた豊島ですが、もともとはその名の通り、緑豊かな自然や湧き水を湛える豊かな島でした。

そうした歴史を踏まえて、内藤礼さんと西沢立衛さんによる「豊島美術館」は“水滴”のかたちをしており、内部では泉のように水が湧きあがる、自然の豊かさや生の循環を反映した作品になっています。(前編ここまで)

取材/文化観光コーチングチーム「HIRAKU」

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