わかりやすい展示、多世代に「こうすれば刺さる!」 博物館の先進事例を紹介
夏休みが始まり、美術館や博物館も来場者が増えて賑わう季節がやってきました。観光的にも繁忙期であり、子供からシニアまで幅広い来場者が見込める時期です。では、その中でどの程度の人たちが展示を楽しみ満足したでしょうか? 文化や観光に新しい興味や好奇心を呼び起こすために大切なのが「展示のわかりやすさ」。世代を超えて展示の理解を促すための魅力を創り出しているミュージアムの工夫に迫ります。
「お父さんが困らないように。『子供に質問されたけど、読んでも分からないから答えられない』って。そんな展示をなくそうと決意しました」
2016年(平成28年)にリニューアルした群馬県立歴史博物館。開館は1979年(昭和54年)。リニューアル後の常設展の配置や展示パネルの内容・見せ方を2022年(令和4年)に再び大幅に見直した。
子供に説明して理解できる解説を目指す
展示パネルを見直すきっかけとなったのは「書いてある用語や内容が難しすぎる」との声があったからだ。解説を書くのは学芸員が中心となる。今回、展示パネル見直しプロジェクトを担当した江原幸太郎・学芸員は、こう話す。
「学芸員は、つい見る人も自分と同じように歴史に興味があって詳しいと思いがち。でも、私たちが数学の方程式や英語の構文を忘れているように、ほとんどの人が中学・高校で学んだ歴史の内容は忘れているんだと気がつきました」
だから、パネルを読んでも理解が追いつかないし、そもそも読みたくなるようになっていなかったと反省する。
そこで、分かりやすさの基準を「お父さん・お母さんのメンツを潰さない展示」とした。子供に質問されても、読んでわかるようにすれば親のメンツは潰れない。
「長いな、と思われるだけで読まなくなります。①中高生が読んだら分かる、②大人が読んで子供に説明できる、の2点を基準にパネルの解説文を練り直しました」(江原氏)
タイトルも見直した。参考にしたのは、短くても内容に興味が持てる「Yahoo! ニュース」などの見出しだったという。「そのタイトルを読めば、大体の内容がわかるように、また興味を引く内容であるようにします。それで読みたい人に本文まで読んでもらう」と江原氏は説明する。
自分が担当した近世・江戸時代の群馬県についての解説パネルで、江原氏は「江戸の北を守る上野国(こうずけのくに)」というタイトルと、「家康にとっての重要拠点」というサブタイトルをつけた。上野国とは現在の群馬県地域のこと。だれもが知っている徳川家康にとって上野国という土地は、どのような意味があったのか、興味をそそられる表現になった。
有田焼の産地「有田のことがわからない」を反省
佐賀県立九州陶磁文化館(佐賀県有田町)も、2022年4月のリニューアル開館で展示の大幅な見直しを決行した。400年前から磁器の生産が始まった有田地区にできた“産地型の陶磁器専門博物館”、1980年の開館から常設展は「九州全体の陶磁器の歴史を学習的に掲示する展示」になっていたという。
「しかし、来館者からは『せっかく有田まで来たのに、有田焼の歴史があまり分からなかった』との声をいただいたのです」と同館の徳永貞紹副館長は話す。陶磁器の歴史にこだわるあまり、日本の磁器が有田で発祥した背景や歴史が手薄になっていたという。
リニューアル後は文化観光を推進する観点から、陶磁文化館が産地回遊の“起点”となって有田ブランドを高めることで有田への集客力を高めることを狙ったという。さらに、「歴史を通じて代表的な項目に分けて部屋を割り振り、それぞれでダイジェストとして歴史ストーリーを体感してもらうこと、また歴史という縦軸だけでなく、世界に広がった有田焼という空間としての横軸も伝えることを狙いました」と、徳永氏は解説する。
例えば、3番目の部屋でテーマとしたのは「日本磁器の完成」だ。有田焼の最高級品として名高い「柿右衛門」と、採算やコストを度外視した将軍家への献上品「鍋島」を紹介。有田地区で生まれた磁器の特徴や、ブランド品として注目を集めた理由を解説している。
4番目の部屋は「海を渡る」をテーマとし、世界とつながる有田焼というコンセプトを体感できるようなスペースを目指した。欧州の宮殿で実際に調度品として飾られた有田焼のイメージを再現した。体感してもらうことを重視し、解説は少なめにしてあるという。
7つの部屋が終わった後にも、有田焼の歴史を横断的に紹介する「有田焼ができるまで」や「有田焼のデザイン」といった内容のコーナーも用意した。さらに、有田焼の美しさを白い皿にプロジェクションマッピングで投影して見せるなどの仕組みも導入した。
「来館者に地元の産地やその周辺を回遊してもらおうと考えて、有田だけでなく肥前窯業圏や九州各地の陶磁文化にフォーカスした『やきもの産地マップ』も最後に掲げています」と徳永氏。陶磁文化館で学んだ情報を基に、九州の伝統産地を「自分の興味の赴くままに歩いてみたい」との好奇心を呼び起こす展示を目指したという。
誰もが知っている「ヒト・モノ・コト」に引きつけて
東洋学の研究図書館として 1924 年(大正13年)に設立された東洋文庫(東京都豊島区)。100 万冊を超える東洋学関連の書籍や資料があり、2011 年に建て替えたのを機に「東洋学を広め、アジア各地の歴史や文化に興味を持ってもらう」という目的で「東洋文庫ミュージアム」を併設した。
正規の学芸員は 2人だけだが、約300人の研究員が在籍しており、連携しながらミュージアムでの展示を企画していくという。「東洋学を広めるのは、多くの方に東洋文庫に来てもらわないと実現しないミッションです。幅広い世代に足を運んでもらい、展示資料の魅力に触れてもらうため、展示にも知恵を絞っています」と、東洋文庫の篠木由喜・学芸員が説明する。
東洋文庫ミュージアムは、展示パネルの表記に工夫を凝らしている。篠木氏は「すべての展示パネルにキャッチコピーを入れています。どんな内容・テーマなのかを一目で把握してもらって、『興味のある友人につれてこられた興味のなかった人にも解説パネルを読んでもらうこと』を目標にしました」と説明する。
また、同一資料であっても展示のテーマやストーリーに合わせて解説を変えている。例えば、中国・清朝の最盛期を生きた皇帝・乾隆帝が作らせたフランスの銅版画「準回両部平定得勝図」は、「名品」として展示した時には「画家・彫工ともに当代一流の名匠を起用し、フランス銅版画の精緻な技術を駆使した作品」として紹介した。
一方、「大清帝国展」に展示したときには「朕こそは完全無欠のエンペラー!」というキャッチコピーをつけた。解説には「乾隆帝による戦果アピールというプロパガンダ的な要素が強い作品でもある」と表記もして、「この資料の清帝国史での位置付けがすぐに理解できるようにしました」(篠木氏)。
また、「本から飛び出せ!のりものたち」展(乗り物展)では、この版画に出ている馬に注目してもらいたくて、「その走り方は...うさちゃん!?」とのキャッチコピーを付けて紹介した。展示資料の持つ多様な文脈が展示のテーマやストーリーに載せて示されることで、来場者は一つひとつの資料の意味や価値に触れることができる。
文章が読めるだけでは不十分
文化庁の中尾智行・博物館支援調査官は「わかりやすい展示とは、来場者の目線に立つことから始めることが大事ではないでしょうか」と強調する。中尾氏がみた事例では、こんな展示パネル解説があったという。
「大地の隆起(りゅうき)と河川の下刻作用(かこくさよう)に伴(ともな)い段丘形成(だんきゅうけいせい)が始まったと考えられる」
ふりがながあるので読めることは読める。しかし、「段丘形成」が読めたとしても、その意味はわかるのだろうか。中尾氏は「ふりがなを必要とする子供などの立場から想像してみると、読めれば『わかる』というものでもありません。例えば文章自体をもっとかみ砕いて『川の水が地面をけずることで、階段のような地形ができました』などと表現すれば、より伝わりやすいのではないでしょうか」と説明する。
展示のわかりやすさは、文化観光の推進によって地域や施設を訪れる人を増やし、地域の多様な文化を理解してもらう上での「基本の“き”」だ。観光で訪れる人々の多くは地域に関する基礎的な知識を持っていないし、楽しい観光体験のひとつとして博物館を訪れる。
好奇心をくすぐるタイトルやストーリー性のある解説、短く端的でわかりやすい紹介など、来場者の視点に立って工夫することで満足度の向上や新しい利用者の獲得にもつながっていく。博物館が来場者にとって魅力的な文化拠点となるために今後も好事例を紹介していく。
(編集・構成:三河主門)
※本稿は2023年1月25日に開催した文化観光第5回ワークショップ「文化観光における展示づくり」の採録記事を再構成しました。