文化施設を「部室」に 人を巻き込む企画のたてかた (後編)
文化観光推進法の目的には、ホストコミュニティとなる地域住民が自分たちの地域を学び、愛着を持ち、文化を守り活かす社会を育てることも含まれています。
文化施設を豊かにしてくれる仲間として、前回は、自然史系博物館で活動する3つのサークルについてお話ししました。通常業務である標本作り(資料整理)を様々な人たちとの共同作業にすることで、定期的に関わる人が増加し、博物館資料も増えていくというものです。そんなサークルを意図的に、ゼロから作ることは可能なのでしょうか。
被災した博物館の再開を応援するサークル「東北遠征団」
2011年、東北沿岸部の博物館は、被災した膨大な資料の回収・洗浄・修復活動を全力で続けていました。市民にとって博物館の存在に親しむ機会は展示やイベントといった教育普及の場ですが、当然そんな余力はありません。
私は西日本の博物館の教育系スタッフ、学芸員、ボランティアなどで有志のチームを組み、地域の博物館と連携しながら、自然や生きものに関する子ども向けのワークショップを現地で実施する活動を開始したのです。これも緊急時に結成された1つの博物館サークルといえますね。
イベントの実施を通して地域の博物館の現在の活動、その存在をアピールするのが目標でしたから、テーマは「開催地の地域の自然・文化」にこだわりました。自分たちの住む足元の自然を面白がる子どもが増えれば、きっと復興の役に立つと考えたからです。自分があの博物館のスタッフだったらどんな内容にする?と仲間と何度もディスカッションを重ね、よそ者の私たちが地域の自然を学ぶ中で感じた「すごい」をプログラムに詰め込みました。
初開催は2011年9月、捕鯨の基地として栄え、「鯨と海の科学館」が建つ岩手県下閉伊郡山田町でした。社会教育課の担当者が「うちの町にまだこんなに子どもたちがいたのか」と驚くほど人が集まりました。11月には陸前高田市と大槌町でも開催し、その反響から、緊急時にこそ文化的な体験や楽しみへの需要があると確信しました。
今後数年は活動継続させようとリサーチを始めた12月の半ば、宮城県南三陸町のDさんから「震災で全壊し、その機能が失われている。町を特徴づける施設であり、発展的な復興をしたいが、今の町に計画策定の余力がない」と博物館系のメーリングリストを通し呼びかけがありました。
町営の研究施設・南三陸町自然環境活用センター
南三陸町自然環境活用センター(以下、ネイチャーセンター)は1984年に誕生、1999年に海の自然を学びたい人々が集う研究施設として再スタートしました。町営でありながら大学の臨海実験所と同等の機材を備え、博士研究員を町の予算で雇用し配置するという、全国でも稀な施設です。
小さな志津川湾からはウミクワガタやクモヒトデなど面白いいきものが次々と発見され、ダンゴウオやクチバシカジカといった、これまでよく知られていなかった魚たちの生態がわかってきました。カラフルで魅力的な魚たちはダイバーを惹きつけ、クチバシカジカは町のマスコットキャラクターとしても活躍。研究者の関わりが町の生物多様性を豊かにし、地域の産業を盛り上げ、町の魅力を増やしていったのです。
充実した専門性の高い学習プログラムが提供されたことで、ネイチャーセンターには多くの利用者が訪れ、リニューアル後の12年間で延べ2万3千人が利用しにぎわっていました。
しかし、2011年3月11日の大地震による津波で施設は壊滅、職員は幸い全員が無事だったものの、貴重な資料の大部分が流出してしまいました。
施設再興の目的に向かい、ゼロからできた「友の会」
町に通って関係者に話を聞くうち、ネイチャーセンターは施設の特性から外部とのつながりが強く、町内ではあまりその意義が認識されてこなかったという事情が見えてきました。施設の再開をアピールする子ども向けイベントを担当することになった私は、呼べるだけの関係者を巻き込んで賑やかにして、再興への動きを盛り上げることを目標にしました。
とはいえ肝心のDさんは大きなイベントの成功には懐疑的で「震災前は子どものイベントを開いても20名も来ないこともあった。」と不安になることを言ってきます。
そこで戦後、市民が後援会を作り開館を支えた「大阪市立自然史博物館友の会」の事例を紹介してみたところ、南三陸でも地元の支援組織を立ち上げ、町内からセンター再興の声を上げていくのは良さそうだ、となり「ネイチャーセンター友の会」の立ち上げが決定しました。
さて会長をどうするか。コンビニで買い出ししながら雑談していたところ、町出身者で文化財を担当していた元町職員で、子どもの頃から野鳥観察を続ける筋金入りのナチュラリストであるSさんが通りかかり、その場で友の会にスカウトをし、見事会長に就任したのでした。
こうしてできた友の会は、イベント「南三陸子ども自然史ワークショップ」に向けて町内外の関係者と連絡を取りながら複数のプログラムを企画、当日の運営スタッフも学生ボランティアや漁協から声をかけられた地元漁師などで50名近くに。参加者は受付開始後あっという間に100名突破し、震災前のイベント参加者数を更新しました。
「南三陸化石の学校」の試みと、専門性に刺激された人たち
楽しく学ぶことが好きな人が集まった「友の会」。2014年には町内のもう1つの自然系施設「歌津魚竜館」の再開応援企画として、近隣の東北大学総合学術博物館の協力も仰ぎ、地元の化石をテーマに恐竜復元画教室、化石レプリカ作りなどを実施しました。子供だけでなく町内の観光業者・ボランティアガイドに向け、南三陸地域をフィールドとする研究者による講演会「南三陸の化石研究最前線!」も開催。最新の研究成果をやさしく解説し、地域の自信の源をアップデートする試みを行いました。
新しい知識は参加者を大いに刺激しました。イベントで作成した小冊子は小学6年生の課外学習の教材に。運営に関わった大学生は卒業後地域のジオパークに就職し教育普及活動に従事。
移住者による有志が「地学部」を結成し、活発な発掘活動を行うようになり、正体不明の化石は東北大に持ち込む関係ができ、そんな中で日本初の化石も報告され、さらに盛り上がっています。2019年には化石好きの若い漁師さんが自分のコレクションを中心に、私設博物館までオープンしてしまいました。
サークル活動の盛り上げ方
「東北遠征団」も「南三陸ネイチャーセンター友の会」も、最初の成功体験がカギになりました。そのため初回からしばらくは、仕掛ける側が本気で腹を括る必要があります。活動のミッションを最初にしっかり共有し、その間にシンボルとなる小さな目標を立て、発生する作業を仕分けし、振り分け、一緒に作業しながら手順、企画の考え方をさりげなく伝えて、お喋りしながら改善のアイデアももらいましょう。
熱心に話を聞く人には一本釣りで声をかけ、その人の知りたいこと・得意なこと・やりたいことが活動の流れの中に組み込まれるよう丁寧にサポートしていきます。学生には金銭的な負担なく、社会人は時間の調整がしやすい設定にして細かく参加の機会を増やします。活動の小さな目標がイベントなら肝心の本番に向け、プレスリリースや大量のチラシ配布で満員御礼!を実現しましょう。
たくさんの来場者は関係者を喜ばせ自信をつけるだけでなく、自治体や観光協会にも評価され後につながります。1つの活動が終わったら、直後に振り返りの会をしてお互いを褒め称え、「次はこうしたい」などと言わせたら盛り上げ役の黒子としては大成功です。
確実に成果につながる流れを「はじめに1つ」作ることで、人はお手伝いから自分で動く仲間になるはずです。
文化施設を「部室」にした、知的好奇心を刺激されるサークルの例を見つけたら、またここでご紹介しようと思います。
文化観光コーチングチーム「HIRAKU」専門家
西澤真樹子(NPO法人大阪自然史センター職員、大阪市立自然史博物館外来研究員、近畿大学非常勤講師、きしわだ自然資料館専門員、国立民族学博物館共同研究員)