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日本の文化「もっとわかりやすく」 東京国立博物館が編み出した多言語での展示解説ノウハウ

 インバウンド(訪日外国人)がコロナ後に再び増える中、博物館や美術館で「多言語での展示・解説」を再確認する動きが出始めています。海外からの来館者の知的好奇心を刺激して満足感を引き出す展示内容の紹介は、日本文化の理解や思い出づくりにも影響を与えます。国宝を多数所蔵し、国内屈指の来館者数を誇る東京・上野の東京国立博物館(以後、東博)は、どのように外国語で展示を紹介しているのでしょうか。東博の英語解説担当者に、文化財に関する“翻訳”について話を聞きました。

東京国立博物館の本館外観(2023年7月27日撮影)

 2022年(令和4年)に開館150周年を迎えた東博。コロナ禍前の2019年には年間約260万人が来館し、このうち海外からの来館者が30%を占めた。2023年の夏も、朝から正門前に列をなした外国人来館者が次々と館内に吸い込まれていく。東京都心の中心部に位置した東博は、観光で東京を訪れた外国人が「日本文化に触れたい」と考えた時、最初に訪れる博物館だといわれる。

海外来館者向けに展示解説をつくる国際交流室

 東博で外国人向けに展示解説の作成などの業務を手掛けるのが、学芸企画部企画課にある「国際交流室」という部署だ。現在は総合文化展(他館の常設展に当たる展示)の展示解説を担当しており、英語担当の4人をはじめ、中国語担当3人、韓国語担当3人が所属している。
 
 この国際交流室で専門職として10年近いキャリアを持ち、「数年前から『題箋(だいせん)』と『作品解説』の見直しを進めています」と話すのは、ミウォッシュ・ヴォズニ氏だ。題箋とは、展示作品の“名刺”ともいえる、作品の名称や年代、作者、技法などの基本情報。その一方で、作品解説は作品の意義や用途、鑑賞上の見どころなどに触れる短い文章で、題箋と一緒にそれぞれの展示作品の前に提示する。

日英の比較で題箋の改善を説明する国際交流室のヴォズニ氏

 ヴォズニ氏は幼少期をポーランドで過ごした後、米国に移住して米国の大学を卒業。その後、日本の大学院で日本美術史を学んだという。現在は東博で英語での展示解説を担当している。特に総合文化展の中でも、海外からの来館者が8〜9割を占める「本館―日本ギャラリー」の題箋と作品解説の見直しや改善に力を注いできた。
 
 東博は題箋・作品解説の大幅改良プロジェクトを国際交流室だけでなく、総合文化展に関する業務を担当する「平常展調整室」、題箋や解説パネルを含む総合文化展の展示室内のデザインを担当する「デザイン室」また「博物館教育課」が横断的なワーキンググループを設けて着手したという。

改良前の題箋・解説(東京国立博物館提供)

 改良前の題箋・作品解説は、どうだったのか。まずデザインの導線が見づらかった。日本語の情報はまとめて表記していたが、英語は左右に分かれるなど外国語の情報は点在していた。そして外国語の作品解説が日本語の4分の1程度と少なかった。「英語やほかの外国語の解説文も分量が少なく、デザインがすっきりとしていないため読みづらい。これでは作品の魅力が十分に伝わらないと思いました」(ヴォズニ氏)
 
 これを、まずは作品の題箋や解説を、左から右へ順に日本語、英語、中国語、韓国語と分けて配置し、導線をすっきりさせて誰もが読みやすく改良した。これは、当時のデザイン室長が提案したもので、来館者にとって理想的なデザインだった。

当初の理想形の改良案(東京国立博物館提供)

 ただ、展示替えの際に、日本語の題箋にちょっとした変更や修正が入り、それを英中韓の題箋に反映しなければならないということが度々ある。「この新しいデザインでは、題箋が変わる度に4枚の紙片をすべて印刷し直すと、手間が生じて資源の無駄にもなる」という指摘があった。
 
 そこで代案として考えたのが、それぞれの言語の題箋情報をまとまった形で左側の1枚に示し、その右側に作品解説を日本語、英語、中国語、韓国語と示した現在のデザインだ。バラバラだったフォントも統一し、英中韓それぞれの作品解説も長くした。英語の解説は中韓よりも長く見えるが、後者の方がコンパクトな言語であるため、外国人来館者に提供できる情報はほぼ同じだ。

実際に改良したラベル。題箋(左端の部分)と解説を分けている。
題箋部分の導線も以前よりスッキリした

内容も「何を知りたいか」に注目し、日本語の直訳を避ける

 英語の解説文を考える際に、ヴォズニ氏は「海外からの来館者は何を知りたいのか?」を常に意識しているという。英語ではできるだけ専門用語を使わず平易な言葉で書く。ただ、平易な言葉にすると冗長にもなりかねない。そこで情報を絞り込み、丁寧に説明するようにした。
 
 館内で外国人にも人気の高い仏像の例を見てみよう。「阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)」は、日本語では阿弥陀如来や「極楽浄土」の概念を知っているという前提で紹介している。

阿弥陀如来立像の解説(東京国立博物館提供)
東博に展示されている阿弥陀如来立像

 一方の英語は、日本語の解説をベースにしながらも外国人の素朴な疑問に応える内容になっている。「阿弥陀如来とは誰なのか」「なぜ体が金色に光っているのか」「その仕草は何を意味しているのか」――。
 
 「英語圏でよく言われているのは、作品についての事実を列挙すればよいということではありません。来館者の好奇心を刺激して、作品の観察を促すような解説を書くのが大切です」とヴォズニ氏は説明する。そのため、この「阿弥陀如来立像」の解説を書くときには、この仏像をできるだけビビットに紹介することを心掛けたという。

日本語にない「外国人向けならでは」の解説文も

渥美窯の作品「自然釉蓮弁文大壺」

 本館13室の「陶磁」の展示コーナーも、外国人来館者には人気が高い。そこにある「渥美窯」の大壺は、日本語では「粘土紐巻上げ法で作られた」など製法を詳しく説明している。一方の英文は、海外の人にも知られている地名(名古屋の近く、など)で作られた場所を示し、平安時代末ではなく「800年以上前」という表記で時間軸を示している。また、ヴォズニ氏は博物館内のデータベースでこの壺の用途について調べ、「次世代に仏教を伝導するための『タイムカプセル』として使われていた」という情報を盛り込み、現代人が読んでも夢のある内容として紹介した。

渥美窯の大壺の解説(東京国立博物館提供)

英文での解説を日本語と切り離して新たにつくった例も

 海外からの来館者がわかりやすいように、日本語の解説と英語の解説を全く異なる内容にしたのが本館11室「彫刻」の展示室の解説パネルだという。
 
 日本語では、彫刻の「様式」を説明しているのに対して、英語の解説では、彫刻を担当する研究員(学芸員)と相談し、11室で展示されている「仏像」「神像」「肖像」の違いや役割など、より基本的なことを説明することにした。日本語解説と英語解説では読み手の予備知識が異なるので、臨機応変に内容を変えるという考え方だ。この柔軟性は東博の1つの強みといえる。

彫刻展示室の解説(東京国立博物館提供)

 このように、日本語解説を単純に翻訳するのではなく、博物館内のデータベースにある情報を解説に盛り込みながら、研究員とも相談し、海外からの来館者が作品に関心を持てる展示解説文を1つずつ作成しているという。さらに、「作成した全ての解説文について学術的に正しいかを研究員に確認するプロセスも欠かせません」とヴォズニ氏は付け加え、東博にいる約50人の研究員は「言語により解説内容を変えなければならないことを理解しており、大変協力的なのでありがたい」と話す。

東京国立博物館の総合文化展の多言語ガイドブック。文様が美しい8言語のカラフルな色刷り

海外の展示ガイドを「いいとこどり」

 英語など日本語以外の解説では、海外のミュージアムの展示解説ガイドも参考にしている。例えば、世界的に権威のある英国ヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum、ロンドン)が公開している『Gallery text at the V&A – A ten point guide』。また、展示物の解説について詳細に解説したビバリー・セレル(Beverly Serrell)著『Exhibit Labels: An Interpretive Approach』も常に参考にしている書籍の1つだそうだ。
 
 ちなみに、英語圏のミュージアムでは来館者の声をプロアクティブに聞く形は一般的だという。来館者への聞き取り調査や、来館者を会議室に集めてフィードバックを受ける場もあり、当たり前にこうした展示の改善に向けた工夫を重ねている。
 
 さらにヴォズニ氏は「GoogleやTripAdvisorなどの“口コミ”も大いなる参考書です。私たちがやっていることが正しいかどうかは来館者に聞かないと分かりません」と真面目な顔で話す。来館者のリアルな「フィードバック」が、改善に向けて大切な意見となるからだ。「来場者アンケートを取っている博物館は多いと思いますし、当館でも実施していますが、詳しいフィードバックを書く人がいないのです。もっとも参考になるのは、ネット上の口コミですが、来館者への聞き取り調査も近いうちにやってみたいです」(ヴォズニ氏)

東京国立博物館の大階段とホール。コロナ前の2019年には年間260万人にせまる来館者を迎えた

海外来館者の「動き」から直接学ぶ

 展示室内を歩き回る外国人来館者の動きもチェックしているという。「展示解説の左側にある題箋部分は、実はあまり見ていない人が多いんですね。多くの人は作品の解説文から読み始めています。そのため、作品の基本情報は読まないという前提で、作品の解説文だけを単独で読んでもわかるような文を作る必要があります」とヴォズニ氏は説明する。特に、「最初の文を下手に書くと人は興味を失い、読んでもらえません。最初の一文が非常に大事になります」と強調する。
 
 このあたりの感覚は、メディアの記事やSNSの書き出しと同じことだと言えそうだ。「英語の解説はネイティブ(英語を母国語とする人)以外の方にとってもわかりやすいように簡潔にし、誰でも理解できる内容を意識しています」(ヴォズニ氏)という。作品解説文の長さは日本語では120字、英語では50ワード(日本語で約100字に相当)に収めている。前述した「彫刻展示室」の展示説明文では、知り合いのプロの米国人ライターに自身が書いた解説文をみせて率直なフィードバックを受け、書き直すこともしている。
 
 ヴォズニ氏は個人的に得た経験もベースにしているそうだ。「美術好き、日本好きな外国人であっても、鑑賞の予習はゼロに等しいのです。例えば、海外の著名な美術館の寄付者団体を案内したことがあったのですが、『昔の鏡は金属でできていた』、『武士がお茶をたしなんでいた』ことなどは知らなかったのです。予備知識があると思い込んではいけないと思いました」

東博製作の翻訳ガイド、全国の博物館へ「届けたい」

 そうした体験や知見を、ヴォズニ氏は「翻訳ガイド」として1冊の冊子にまとめたという。タイトルは『Japanese to English Translation at the Tokyo National Museum ―A Guide to Tombstones and Other Gallery Labels―』。 10年ほど前に国際交流室の英語チームで外国語での展示解説のノウハウを取りまとめたのが始まりで、数年前にチームメンバーからの要望もあって本格的に刊行に向けて着手したという。

東京国立博物館が作成した翻訳ガイド(東京国立博物館提供)

 日英の翻訳では、一貫性や明確さ、わかりやすさを重視し、改良の方法や用語そのものを多く掲載したという。ヴォズニ氏は「この知見を全国の翻訳者や博物館関係者と共有したい。少しでも参考になれば、うれしく思います」という。2022年に作り上げたこのパンフレットは、東博の研究情報アーカイブズウェブサイトで公開している。

ヴォズニ氏の近影(東京国立博物館提供)

 「完成版ではなくこれは提案。読んだ方からのフィードバックを得て改善を続けていきたい」と、ヴォズニ氏は意欲を見せている。多言語での展示を目指す国内の博物館・美術館の意欲的な人たちとの連携が進めば、外国語での展示力はますます高まっていくだろう。
 
▼東京国立博物館 翻訳ガイド(英語→日本語)暫定版
https://webarchives.tnm.jp/research/details?id=2041
 
(文・西野聡子、撮影・吉澤咲子、編集構成・三河主門)