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世界遺産の富岡製糸場、「革新し続ける遺伝子」で誘客シナリオ練り上げる

 2014年(平成26年)6月に世界遺産として登録されて10周年を迎えた富岡製糸場(群馬県富岡市)が、2022年度から文化観光に取り組んでいます。文化観光コーチングを受けて、ホームページの刷新やインバウンド(訪日外国人)施策の基軸となる、全体を貫く「誘客シナリオ」=ストーリーラインづくりに着手しました。


 2023年12月、富岡製糸場を管理する富岡市の文化観光チームは、観光客を地域に誘い込む基軸となる「誘客シナリオ」づくりを進める中で、新たなコンセプトワードにたどりついた。

 「革新しつづける、未来をつくるTOMIOKA-ism(トミオカイズム)」

 文化観光拠点施設として、このキャッチコピーをまとめるのに富岡市はこれまで1年間、苦労してきたという。

多様な観光資源を貫く基軸のストーリーづくりに悩む

 富岡市の世界遺産観光部観光交流課観光交流係で文化観光推進を担当している四十万しずま貴章・係長代理は「富岡製糸場として文化観光コーチングを受けようと考えたきっかけは、そもそも観光誘客に向けた主軸となるストーリーがうまく見いだせていないことでした」と話す。

 目玉である富岡製糸場のほかにも、周辺には観光資源が多く存在する。富岡市内には「群馬サファリパーク」や「群馬県立自然史博物館」など、親子でも楽しめる施設もある。パラグライダー場やロッククライミング(ボルダリング)ファンに有名な妙義山(富岡市、下仁田町、安中市の境界、標高1104メートル)も近い。

 こうした観光地を連携させることで観光客数を増やそうと、富岡市は2021年度(令和3年度)に「観光戦略プラン」を打ち出した。だが、世界遺産である富岡製糸場を主体にしながらも「どのように連携していくべきか」が悩みだったという。

日本の産業近代化を担った歴史・文化遺産としての価値

 富岡製糸場は、明治政府が日本の近代化を目指して1872年(明治5年)に西洋の器械製糸技術を導入した官営模範工場として設立された。操業を開始した当初はフランスから輸入した繰糸そうし器を使って生糸を生産していた。

「製糸」とはカイコの繭から糸を取り、生糸にすることである。その後、製糸技術は日本で独自に発展し、第二次世界大戦後には世界に先駆けて自動繰糸機を実用化して世界中に輸出してきた。

 その自動繰糸機の技術は今でも世界各地で活躍を続けている。世界標準を改良・発展させて最新のテクノロジーに磨き上げて世界を席巻する「メイド・イン・ジャパン」流の初期の代表的事例だといえる。

 富岡製糸場の誕生もあって日本は明治末期には生糸の輸出量で世界一となり、外貨を獲得したことで近代国家建設を進めていった。日本の産業近代化を代表する歴史的施設でもあるのだ。

繰糸所に保存されている自動繰糸機

 こうした歴史的な価値や重要性から、「富岡製糸場と絹産業遺産群」は2014年に世界遺産登録された。同年12月には、繰系所のほか西置繭所にしおきまゆしょ東置繭所ひがしおきまゆしょの3棟が「国宝」にも指定された。その2014年には富岡市には観光客が大挙して訪れて富岡製糸場を見学。製糸場にちなんだシルク(絹)製品や地域の産品を買っていくなど、ブーム化も起きた。

来場者数はピークの4分の1に激減

 しかし世界遺産登録から10年目を迎えた今、富岡市に当時の熱狂はない。2014年度には133万人を記録した富岡製糸場の来場者数は、コロナ禍による落ち込みもあり、2023年度は36万〜38万人を見込む。ピークの約4分の1に落ち込んでいるのだ。

 観光客を再び戻ってきてもらうための「装置やインフラも弱いままでした」と四十万氏は話す。富岡市の観光ホームページも、富岡製糸場の世界遺産に登録した当時に製作したもので、大きく変化していないという。また、世界中で生糸の生産に貢献した繰糸機などを生み出した歴史があるのに、インバウンド客を呼び込んで場内を案内するといった受け入れ体制も十分ではなかった。

 「それらを1つに結んで、まとめ上げるストーリーラインが必要だと、文化庁の担当官などからも指摘を受けました。ここが文化観光コーチングでも最大の議論ポイントになりました」(四十万氏)

富岡製糸場のキーワードを貫く軸とは

 文化観光推進法に基づき認定された富岡製糸場拠点計画には「日本近代化」「技術革新」「女性活躍」というキーワードが書かれている。

 前述のように富岡製糸場は日本製糸業を近代化した象徴であり、自動繰糸機をいち早く開発・導入するなどのイノベーション(技術革新)にも取り組んできた。その時代の先端をいく富岡製糸場で働いていたのは、全国から集まった女性たちだった。創業時、富岡製糸場で新しい技術を習得し全国各地に普及させたのはそうした女性たちで、明治の世の中で女性がリーダーとして活躍してきたという歴史的経緯がある。

 こうした要素を踏まえての「日本近代化」「技術革新」「女性活躍」というキーワードを計画立案時に選んだわけだが、当初は有機的に結びついていなかったようだ。

 富岡市の文化観光チームは、同市から四十万氏のほか、同市富岡製糸場課の学芸員である岡野雅枝氏や、一般社団法人富岡シルク推進機構の長谷川直純・専務理事兼事務局長、また2021年に観光庁が認定する観光地域づくり候補法人(候補DMO)となった富岡市観光協会からフランス出身のスタッフ、ダミアン・ロブション氏などで構成されている。

 富岡製糸場は1893年(明治26年)、器械製糸の普及と技術者育成という目的が果たされたとして三井家に払い下げられ、その後は1939年(昭和14年)に片倉製糸紡績(現・片倉工業)に合併された。そして日本の製糸業の衰退とともに1987年(昭和62年)3月に、操業を停止した。

 建設から150年以上が経つ木骨煉瓦れんが造の建物群が特徴的な富岡製糸場だが、製糸工場としての役割を終え、今は世界遺産・国の文化財として保存され、公開活用されている。文化財としての保存を第一義としてきたためか「動態展示、つまり何かが動いて繭から糸を引いたりするような展示物が当初はないままでした」と、富岡シルク推進機構の長谷川氏は残念がる。

「文化財として保存」「観光資源として活用」両立の難しさ

 現在は1872年(明治5年)に導入されたフランス式繰糸器(=復元機)の実演・動態展示に加え、同じ年に導入されたブリュナエンジン(=同)の動態展示も実施している。ただ、繰糸所での本格的な動態展示を含めた展示・解説は、十分な保存整備工事が行われていないため現状では難しいという。

 富岡製糸場は往時の建物や機械などは残っているが、世界に広がった自動繰糸機も、動かさないまま保存している。現状では保存整備工事を実施する予定は立っていないが、今回の文化観光拠点計画における事業の1つとして、楽しみながら見られる展示コンテンツを動画で制作し、生糸づくりや繰糸機械の動きなどを見学者に分かりやすく伝える計画をたてている。

 富岡製糸場の関係者は、古い建物を見学して明治から昭和にかけて稼働した工場の往時に思いを馳せることも、世界遺産となった歴史的価値や先進性についての理解につながると信じている。だが、それだけでは「本当に来場者は満足できるのか、物足りないのではないか」という思いも持っていたようだ。富岡製糸場の整備活用計画にも、動態展示の必要性を指摘している箇所はあるという。

 ただし、世界遺産であり国宝・重要文化財の建造物も複数あって敷地全体が史跡である富岡製糸場では、「保存活用における第一義は『文化財としての価値を損ねないこと』が基本だと思います」と、学芸員の岡野氏は強調する。観光客の興味を引きやすい動態展示を取り入れるにしても、文化財としての価値の保存との両立が前提となる。

 一方で、見学料が収入のメインである富岡製糸場は来場者が増えなければ、その肝心な補修にまわす資金も増えていかない。そんなジレンマを抱えながら文化観光コーチングに取り組んだ富岡市の議論は「当初はなかなか進まない面がありました」と四十万氏は振り返る。

国宝「西置繭所」保存整備工事の“革新性”に気づく

 文化観光コーチングを通じて誘客シナリオのストーリーラインを考えていくための「きっかけ」を与えたのが、2020年(令和2年)10月に保存整備工事を終えて公開活用が始まった国宝・西置繭所から得た経験だったという。

2020年に保存整備工事を終えた西置繭所の外観

 幅12メートル、長さが100メートルを超える木骨煉瓦造の西置繭所は、富岡製糸場の敷地内で繭を保管しておく「貯繭ちょけん施設」だった。西置繭所の保存整備工事は、保存修理に加え、活用のための整備と、耐震性能の向上が目的だった。建物そのものが国宝であり、敷地は国史跡であるため、工事にも文化財としての価値を損ねないよう配慮した設計や施工が求められた。

 1階部分の耐震補強にあたっては、鉄骨と強化ガラスによる「ハウス・イン・ハウス(入れ子)構造」を導入して、保存と補強と活用を兼ねる仕組みにしたのが特徴だ。

国宝となった建物の中に鉄筋と強化ガラスの部屋が入る西置繭所

 鉄骨とガラスの内側にできた空間には、往時の働き方、暮らしぶりなどの歴史を伝えるギャラリーや、多目的ホールを整備。特にホールは会議や演奏会、結婚式などにも使われているという。国宝の建物の中で、様々な催しものを開催できることで注目され始めている。

 2階には貯繭の様子を再現した空間もある。2階は1階と異なり、オリジナルの空間を生かした補強方法を採用しており、操業を停止したときの貯繭倉庫としての空間を体感できる。

西置繭所の2階には貯繭の様子を再現した一角もある

 富岡製糸場は、この西置繭所の保存整備事業に際して図録を制作した。その際に、図録製作を担当したのが岡野氏だった。

 どんなタイトルにするか、サブタイトルをつけるかを考えていく中で、岡野氏は思い至った。「富岡製糸場は製糸技術の革新の場であり続けました。そして操業を停止した後も、文化財としての保存活用において、新しい技術を導入して革新を続けていく場であるのだ、と」(岡野氏)

「革新しつづける」地域の意志が一体感を醸成

 図録には「富岡製糸場、継承される革新の歴史」とのタイトルをつけたという。その発想が、ストーリーが重視される誘客シナリオの中で「革新しつづける、未来をつくるトミオカイズム」に集約されていった。

 言葉としてはスローガン的で目新しさのないようにみえるワーディングかもしれないが、富岡シルク推進機構の長谷川氏は「先進性に敏感である地域の特性と、革新し続けるという意志を示す内容になったことで、全体にまとまりが出てきたと思う」と評価する。

 富岡市の四十万氏は「これから具体的な施策を考えてまとめることになり、実際に集客の効果を発揮するには長い時間がかかるかもしれません。ただ、はっきりとした軸ができたことで、観光ホームページやパンフレット、案内板などに載せる文言なども、統一されたストーリーに沿って打ち出せるようになると考えています」と、明るい表情で話す。

 ただ、革新ができなければ来場者が増えていく未来はやってこない。保存と革新をいかに両立させて、未来をつくる具体的な施策を考え出し、実行していけるか。新しい「トミオカイズム」はこれから正念場を迎える。


(文・取材・写真・構成:三河主門)

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