文化。守るから育むへ
「文化」を調べてみた
最近、文化に真剣に向き合っている。今までも国内外で様々な文化に触れてきた。でも、「文化ってなんだろう」と、原点に立ち返って考えることは、これまでなかったと思う。そんなこんなで、急に「文化」を調べたくなった。早速インターネットを叩くと、ウェブで検索できる辞書がいくつも出てきた。
まずは広辞苑。『人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ科学・技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む』とある。「人間が自然に手を加えて形成」という部分にハッとした。今更だが、人間が作ったものということだ。
goo辞書では、『人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体』と記されている。広辞苑でも同様だが「成果」という記述からは、文化は「良い結果」で、既に出来上がったもののような感覚が伝わってくる。
実用日本語表現辞典では、『文化とは、人間により創造されたもの、人工物であり、その社会において後天的に学ぶべきもの全般のことであると言える』とあるように、文化は学ぶべき対象として表現されている。
・広辞苑
・goo辞書
・実用日本語表現辞典
一方、日本大百科全書では、『集団の一員として学習、伝達されるもの』という記述があり、その後に『少なくとも理念としては、人間の営みを充実向上させるうえで新しい価値を創造するという意味が含まれている』と続く。広辞苑とgoo辞書とは少しニュアンスが違って、日々の営みの中で、人間が主体的な立場で学び、能動的に新たなものを付加していくという意味合いを感じる。
ウィキペディアでは、『組織の成員になるということは、その文化を身につける(身体化)ということでもある。人は同時に複数の組織に所属することが可能であり、異なる組織に共通する文化が存在することもある』と表現されていた。この表現には刺激を受けた。「文化の身体化、複数の文化に所属可能」と、過去の成果というより、文化の中で今を生きているという状況や色々な文化と共に生きる姿を連想させる。現実に私たちが感じている感覚に近い気がする。
・日本大百科全書
・Wikipedia
文化の定義は多様である
「どの辞書の定義が良いか」については、様々だと思う。特に「文化」を専門とする方からすると、この定義は誤解を招くなどの意見があるかもしれない。でも、多くの方が「文化」を調べるのに使うのは、インターネット、つまり手軽に調べられるweb辞書だと思う。こうしたものを通じて、ある意味、常識が形成されていくのだと思う。
とはいえ、少し心配になったので、日本で一番売れているとされていた新明解国語辞典を購入してみた。『その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)。また、それによって 創り出されたもの』とあった。複数の文化の共存という意味合いを除けば、すべての辞書の定義を上手にまとめたような感じに思えた。文化は「成果」だが、その「成果」は常に新しいものが加わっていく感じだ。
文化振興とは、文化を盛んにすること、文化が盛んになること
今回、私が文化に興味を持った理由は、文化に触れる中、人が生きていく上で、文化が欠くことのできないものだと感じたからだ。文化を振興すると、精神的な充実も得られ、人の日常を豊かにできると感じたからだ。あ、「振興」とはどんな意味だろうか。早速web辞書を見てみると、『物事を盛んにすること。物事が盛んになること』とあった。ならば、文化振興は、「文化を盛んにすること、文化が盛んになること」だ。
間違いない。やっぱり、「文化」は、過去の「成果」として捉えるべきものではない。もちろん、過去の「成果」を学ぶことは大事だ。先人の知恵、土地に根付いた知恵など、学びたいことは幾らでもある。でも、学んでどうするのか。なんのために学ぶのか。この部分は今生きている人、学んだ人が考えなくてはならない。学びを梃子に何を創造していくかが大事だ。「文化を盛んにすること、文化が盛んになること」とは、「文化の担い手が増えること」、「これまでの文化に担い手が創造したことを足していくこと」だと思う。
あ、広辞苑の定義は、「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果」だったが、今生きている人がそれを学ぶだけだったら、その成果は時間と共に、昔にあった「成果」に変わっていく。今生きている人が形成した「成果」が生まれない。そんな残念なことはない。これまでの「成果」に、地層のように新しい創造を加えていく。地層同士が交わり、新たな地層となる。こんな文化振興ができたら、最高だと思う。日本を多様な文化が根付く豊かな国にしたいと思った。
文化観光コーチングチーム「HIRAKU」コーチ
長島聡(きづきアーキテクト株式会社代表)