多言語+体験型で「おもてなし感」厚く、江戸東京博物館のインバウンド向け展示手法
2025年度中のリニューアル開館を目指して改修工事が進む江戸東京博物館(東京都墨田区)。東京の都心部にあって、この大都市の歴史や文化を学べる博物館としてインバウンド(訪日外国人)観光客にも人気が高い施設です。2022年3月に休館するまで最大13言語で展示を紹介していた江戸東京博物館に、外国人客に「おもてなし感」を高める多言語解説についての考え方と、その狙いを聞きました。
訪日キャンペーン機に「江戸〜東京の歴史・文化」で外国人を集める
JR総武線の両国駅から徒歩5分にある江戸東京博物館(以下、江戸博)は今、敷地内から工事の槌(つち)音が響く。建築家の故・菊竹清訓氏が設計した建物は1993年の開館から約30年の節目を迎え、初の大規模改修に入った。
「開館当初は修学旅行生やシニア層の来館者が多く訪れ、国内客がほとんどの(学びよりも場所を楽しむ)観光スポットのような側面が強い博物館だったと思います。潮目が変わったのは2003年でした。政府が『ビジット・ジャパン・キャンペーン(Visit JAPAN Campaign)』で日本を観光立国にしようと動き出し、徐々に外国人の来館者が増えていきました」
こう話すのは、江戸博で展示や教育普及、コレクション部門などを担当する新田太郎・事業企画課長だ。新田氏は日本の近現代史を専門とする江戸博の学芸員でもある。
特にインバウンドが増え始めたのは2010年以降。同キャンペーンが「ビジット・ジャパン事業」となり、インバウンド向けのプロモーションとマーケティング施策が強化されてからだ。東京を訪れるインバウンド客の受け皿として、江戸博は「江戸・東京の歴史と文化を振り返り、未来の都市と生活を考える」という開館当初の目的を体現する施設として注目されるようになった。
13言語での展示解説は国内有数の規模
「当初は欧米系の個人や家族連れ・小グループで来ることが多かった当館ですが、後には中国や韓国からのお客様が増えていきました。コロナ禍後の今は欧米中韓からに加えて、タイやマレーシアなどアジア諸国からの観光客も多く訪れています」と、事業企画課展示事業係の橋本由起子・次席係長事務代理(学芸員)が説明する。
江戸博では休館前、13の言語(日本語、英語、中国語簡体字、同繁体字、ハングル、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、イタリア語、タイ語、ポルトガル語、マレー語)で常設展示のコーナー解説をしていたという。日本語と英語は解説パネルを常時掲示し、他の言語は83台のタブレット端末で見られるようにした。
2015年(平成27年)までは6言語だったが、インバウンドが目に見えて増え出した同年に常設展示室をリニューアルした時から、徐々に言語数を増やしていった。音声ガイドも上記の13言語をそろえ、400台の端末を用意して貸し出していたという。
インバウンドが盛り上がる前の1993年の開館当初から、「展示キャプション内の資料名や、各コーナーの解説は英語で表記していました。展示物についているキャプション解説もすべてではなかったのですが、例えば『南総里見八犬伝』という書籍には、どのような内容の本なのかが解る説明をつけていました」と新田氏。パンフレットも開館当初から日英中韓のほかドイツ語、フランス語、スペイン語は「館内の施設配置などがわかる簡単なものを用意していました」(同)。
2020年以降にも展示対応する言語の追加を目指したが、そこにコロナ禍がやってきたため中止し、そのコロナ期間中に改修のための休館期間に突入したという。
「コト消費」への移行とらえ体験型展示を拡充
橋本氏は「私たちが外国を旅行していて、日本語で表示されているとやはり安心するし、感動して親近感も湧きますよね。『おもてなし感』や『お迎え感』を与えるホスピタリティーの観点からも、多言語展示は有意義であったと思います」と話す。
その一方で、インバウンドが盛り上がってきてからは、訪日客から「日本ならでは、東京ならではの体験をしてみたいとの声が増えてきて、興味が徐々に『モノ消費』から『コト消費』に移っているのだなとも感じていました」と新田氏は振り返る。
江戸の豊かで多様性のある文化・歴史を伝えるため、単なる多言語での解説だけではなく、英語の通訳をつけた「えどはく寄席」などのイベントを開催して外国人来館者の反応を調べてきた。館内にあった江戸時代の芝居小屋「中村座」の模型の前で、落語のほか手品やジャグリングや紙切り芸といった大道芸的、また琴、尺八などの笛による邦楽の演奏なども開催したという。
「紙切りのような“手技(てわざ)芸”は、英語の通訳付きで芸人さんがレクチャーしながら実際に外国人のお客様にも体験してもらいました。やはり手技は非常に盛り上がりましたが、一方で、話芸となると外国の方は残念ながらいなくなってしまう。それでも、江戸のにぎやかさを感じてもらうことに意義があるのだと考えてやっていました」(新田氏)
駕籠に乗る、千両箱を持つ――言葉のいらない体験で理解促す
さらに、もともと江戸博が力を入れていた「体験型の展示」も、インバウンド客からの評価が高かったという。例えば、蒔絵(まきえ)などの装飾が施された「女乗物(おんなのりもの)」(駕籠=かご=のうち女性が乗るもの)を常設展示していたが、その近くには中に入ることができる「大名駕籠」を置いた。「それに実際に乗ってみることで駕籠の中の空間を体験できるようにしていました」(新田氏)。
そのほかにも、農作物の肥料となる“し尿”を運ぶときに使う「肥桶」を吊るした天秤棒や、千両箱を実際の千両分の小判が入った重さにして体験展示をするなど、実際に担いだり持ったりしてもらって江戸の生活を体感できるような工夫を施していた。
新田氏は「外国からのお客様も興味津々の様子で、言葉は分からなくても体験することで『おもしろい』と思えるものを多く用意していました」と強調する。そして「(2025年度の)リニューアル後にも、こうした体験型の展示や工夫は増やしていきたいと考えています」と抱負を述べる。
新田氏は「AI(人工知能)技術などを使った自動翻訳や通訳が今後は増えていくと思いますが、それも見据えながら『先を行くサービス』を考えねばと思案しています」とリニューアル後の展示を模索する。
わかりやすい翻訳こそ来館者の信頼性につながる
「当館はやはり『体験できる博物館』が強みであると思います。翻訳や通訳に力を入れる以上に、ちょっと触ってみれば江戸時代の暮らしがわかる、また少しでも日本や東京にいることでしか出来ない体験のきっかけをつくるような展示を目指したいと思います」(同)
こうした体験できる展示は、むやみに展示解説の言語数を増やすよりも、おもしろさという点でインバウンド客の心をつかみやすい。インスタグラムなどのSNSで紹介する人が増えている現代のトレンドに乗れる可能性もあるだろう。
新田氏は「多言語での展示は、各国語に通暁した内部・外部の人材を探すことも大変ですし、また展示の説明を言語としても内容の点でも『正確かつ、わかりやすく伝える』のは非常に高度な作業になります」と説明する。
特に、外国語での解説の正確性をどう担保するかは、解説内容の質にも、おもてなし感にもかかわってくる。「読んだけど分からない」「不正確で変な解説」と外国人客に思われては、博物館としての信頼性を落としかねないリスクもあるからだ。
ボランティアガイドも活用、研修で伝え方を磨く
休館する前はこうした点を補いながら、インバウンド客にさらにわかりやすく展示内容を知ってもらうための一助となっていたのが、ボランティアガイドの存在だった。各国語を話せる人が、その国から来た人たちに展示ガイドを提供していたという。
「過去に外国で暮らしていて、その言葉を忘れたくない人や、さらに言葉を磨きたい人、また各国から日本にやってきた人など、様々な目的を持った方がボランティアとして活動していました」と橋本氏は話す。江戸博としても「博物館としての立場を逸脱するような解説は避けたいので、学芸員による展示内容の解説や接遇などの研修なども受けていただきながらガイドをお願いしていました」(新田氏)。
ボランティアガイドの外国語での解説でも、ホスピタリティーを重視するような解説のあり方を模索していたという。「例えば、外国からのお客様から『忍者はどこに住んでいたの?』など、無邪気な質問が出ることがあります。それに対して、お客さまの持っているイメージを壊すことはせず、いかにユーモアを持って忍者の存在を説明して理解してもらうか。文化・歴史的な解説の正確さとともに、楽しく理解していただくことに知恵を絞ろうとしていました」(新田氏)
2023年12月時点で、2025年度のリニューアル後の開館は具体的な日付は決まっていない。再開を見据えて江戸博は展示解説の言語数を増やすことに加え、解説や情報の提供手法を拡充していく計画だ。インバウンド客が江戸・東京に新たな興味を持てるような体験型展示の工夫によって、さらに「おもてなしマインド」を磨こうとしている。
(取材・文:三河主門)
※扉の写真は休館前の江戸東京博物館の外観(2017年4月撮影、提供:江戸東京博物館)