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歴史的建造物を芸術拠点に。歴史をつなぎ、伝えていく世界各地の試み

古い駅舎、繊維工場や発電所、別荘、海軍病院……。世界各地では、さまざまな歴史的建造物が美術館や公園などとして活用され人気を集めています。ここでは、いずれもその美しさや周囲の環境との調和、地域コミュニティへの貢献で成果を上げている5つの事例をご紹介します。

19世紀の駅舎を芸術拠点に アルプ美術館バーンホフ・ローランズエック(ドイツ)

ドイツ西部、レマーゲンにあるアルプ美術館バーンホフ・ローランズエックをライン川の対岸から見ると、まるで2つの全く異なる施設のように見えます。正面玄関があるのは川岸近くにある本館で、1856年に作られたローランズエック駅の駅舎を改装したもの。そこから約40メートルの高台にある白いモダンな新館は、アメリカの建築家、リチャード・マイヤーの手によるものです。

ライン川のほとりに立つアルプ美術館バーンホフ・ローランズエック
(写真Ulrich Pfeuffer/ GDKE)
旧駅舎のテラスからライン川を望む(写真: Sabine Walczuch)
レンタル自転車で、アープ美術館周辺のライン川沿いにある14の彫刻作品を巡ることもできる
(写真:photo: Helmut Reinelt)

19世紀のこの地域は、「ラインラント地方のリヴィエラ」と呼ばれるほど人気の保養地でした。現在はビストロと会議場になっている旧駅舎の3階は、当時は壮麗な天井画やクリスタルのシャンデリアが美しい大広間で、政治家や芸術家、社交界の著名人が集まる社交場になっていました。そこにはビクトリア女王、ヴィルヘルム2世皇帝、ハイネやニーチェらの姿もあり、ブラームスやクララ・シューマンもここでコンサートを開きました。

しかし第二次世界大戦後は観光業が衰退。駅舎は老朽化が進み、1964年に取り壊されることになります。しかしその直前にボンのギャラリスト、ヨハネス・ワスムートがこの駅舎を譲り受け、若い芸術家が芸術活動に専念できる「クンストラバーンホフ(アーティストの駅)」を作り上げたのです。さまざまな展覧会やコンサートが開かれ、アルゲリッチやバーンスタイン、デューク・エリントンらが活動に参加しました。

その後、彫刻家のジャン・アルプ一家と親しかったワスムートは、ここをアルプ美術館にする構想を描きます。ワスムートは1997年に亡くなりますが、アメリカ人建築家のリチャード・マイヤーがその遺志を継ぎ、2004年には駅舎部分の改修を終えて開館。2007年に新館が完成して正式オープンを迎えました。現在は、アルプ夫妻の芸術作品400点を収蔵しているほか、国際的な現代美術の企画展や、地域に根ざした文化史的な展示なども行っており、地域芸術の拠点となっています。

繊維産業の遺産を伝える広大な野外博物館 ヴェッセルリング公園(フランス)

フランス東部、ドイツやスイスとの国境に近いアルザス地方にあるヴェッセルリング公園は、42ヘクタールもの広大な敷地の美しい公園で、フランス文化省の「注目すべき庭園(jardin remarquable)にも認定されています。

この地域では18世紀ごろから繊維産業が発展しましたが、1980年代に入ると衰退。2000年代になって、市民や地元自治体が中心となり産業遺産を保護するためのプロジェクトが始まりました。

プロジェクトは、一般的な「公園」を超えた、「エコ・ミュージアム」を目指しました。ここで言う「エコ」は、生態系を意味します。地域の人びとの生活、自然、文化、社会の発展を学ぶことのできる遺産を保存し、展示することで、地域社会の発展に寄与することを目的としています。

約2kmの遊歩道をたどると、農場や厩舎、給水塔、農村公園のほか、さまざまな産業遺産を見ることができます。旧織物工場は1996年に織物博物館として生まれ変わり、2015年から一般公開されている旧発電所は「ボイラーハウス」として現代芸術の展示スペースになっています。旧工場の一部は修復されて地域産業振興の拠点になっており、繊維やクリエイティブ関係の中小企業約100社が入居して雇用を生み出しています。

近年は年間約9万人の来訪者を迎えていますが、現在も企業や個人などから幅広く寄付を集めて改修が行われており、完成すれば年間15万人を集めると予想されています。

19世紀の邸宅を自然と調和する「世界一美しい美術館」にルイジアナ近代美術館(デンマーク)

デンマークの首都・コペンハーゲンから北に約35km、対岸にスウェーデンを望む海峡に面したルイジアナ近代美術館は「世界一美しい美術館」と呼ばれてきました。建物は1958年の開館以降、7回にわたって増築や改築が行われ、複数の建物はガラス張りの回廊でつながれています。このため、美術館は一見、非常に小さくこぢんまりしていますが、入ってみるとその広さに驚くでしょう。

実業家のクヌート・W・イエンセンは、デンマークの人たちが気軽に近代美術を鑑賞できる場所を作りたいと考えて私財を投じ、1955年に取得した古い邸宅を活用して「まるで公園の中を屋根付きで散歩をしているかのように感じられるような」美術館を設立したのです。

もとの邸宅を1855年に建てたのは、王室の狩猟官長アレクサンダー・ブルンでした。ブルンは生涯で3人の女性と結婚しましたが、3人とも名前が「ルイーズ(Louise)」だったことが、「ルイーズの(Louisiana(ルイジアナ))」という名前の由来になっています。

ルイジアナ近代美術館は当初の構想通り、作品と建築、自然がお互いに作用し、一体化した芸術作品になっています。そしてイエンセンが描いた、「多くの人びとが気軽に訪れ、見る人に直接語りかけるような作品に出会える魂のこもった美術館」というビジョンを体現しています。

増築された北棟に続くガラス張りの回廊
(Kim Hansen, Louisiana Museum of Modern Art)
海峡を望むカフェからは、庭園に展示された彫刻作品が鑑賞できる
(Kim Hansen, Louisiana Museum of Modern Art)
美しい庭園風景と作品が一体化する、ジャコメッティ・ギャラリー
(Jeremy Jachym, Louisiana Museum of Modern Art)
ルイジアナ近代美術館は1958年、19世紀の古い邸宅を改修して開館した
(Kim Hansen, Louisiana Museum of Modern Art)

アートセンターに生まれかわった、地中海に浮かぶ「病院の島」 ハウザー&ワース・メノルカ(スペイン)

ハウザー&ワース・メノルカは、スペイン・メノルカ島マホン港に浮かぶ、わずか290メートル四方の小さな島、レイ島に2021年7月にオープンしたばかりのアートセンターです。

この小さな島は、Hospital Island(病院の島)とも呼ばれる通り、18世紀にはイギリス海軍の病院がありました。その後廃墟になっていたのですが、2005年に財団法人が設立され、何百人ものボランティアがこの史跡を保全するために活動。メノルカ島を訪れ、自然環境や地域の人々に魅せられた世界的アートギャラリー、ハウザー&ワースの創業者らが、財団とともに2年間にわたって保全・改修を行い、この島をアートセンターとして再生したのです。

1500平方メートルのセンターの内部には8つのギャラリーやギャラリーショップ、レストランなどがあります。屋外には彫刻の小道が設置されており、著名なオランダの造園家、ピート・ウードルフが地元の植物などを配して設計した庭園も楽しむことができます。建物の屋根や床などには、地元の石を使った伝統的な建築資材を使用。オリジナルの木の梁を復元し、木製のトラスを追加して構造を支えました。また、雨水の活用、廃水の再利用など、環境維持への取り組みも行われています。入場は無料ですが、入口で寄付を受け付けており、すべて地元の慈善団体に贈られます。

レイ島にあるハウザー&ワース・メノルカ
(Courtesy Hauser & Wirth, Photo: Be Creative, Menorca)
レイ島にあるハウザー&ワース・メノルカ
(Courtesy Hauser & Wirth, Photo: Be Creative, Menorca)
ハウザー&ワース・メノルカの屋外に展示されている彫刻作品、‘Elogio del vacío VI’ (2000)
by Eduardo Chillida (Courtesy of the Estate of Eduardo Chillida and Hauser & Wirth,
©Zabalaga Leku. San Sebastián, VEGAP, 2021, Photo: Daniel Schäfer)
レイ島にあるハウザー&ワース・メノルカ
(Courtesy Hauser & Wirth, Photo: Daniel Schäfer)

ここでご紹介した公園や美術館などはどれも、単に古い建物を再利用しているだけではありません。その地域のコミュニティや産業、芸術の歴史を守り、訪れる人々に伝える役割も果たしているのです。だからこそ、世界中の人々が訪れるだけでなく、地域の人たちにも愛される場所になっているのでしょう。