非日常から、日常にとけこむ美術館へ。とびらをひらいた「長野県立美術館」
2021年4月、「長野県立美術館」が生まれ変わりました。1966 年に開館した旧長野県信濃美術館を約3年の歳月をかけてリニューアルし、敷地面積はこれまでの3倍に。ガラス張りの開放的なデザイン、信州の美しい山々や善光寺が見渡せるロケーションのもと、開かれた「ランドスケープ・ミュージアム」として、新たな歩みをはじめています。
その中には、内側からも美術館を「ひらいて」いくために奮闘するスタッフさんたちの姿がありました。美術館を「ガヤガヤできる場所」にしたいと熱く語る美術館スタッフの青山由貴枝さんと霜田英子さんに、「新しい長野県立美術館が目指す姿」についてインタビューしました。
美術館は、「なんで?」や「見つけた!」が生まれる場所
――美術館を「ガヤガヤできる場所」にしたいというのは、どういうことですか?
青山さん もちろん、騒ぐとか走り回れるということではなくて……(笑)、大人も子どもも関係なく、アートを見て感じたことを自由に話し合ったり、ワークショップに参加して作品をつくったり、作家さんと出会ったり……そんな風にたくさんの人が行き交うという意味で、「ガヤガヤできる場所」にしたいんですよ。
――なるほど、そういう意味なんですね。
青山さん 旧長野県信濃美術館は、松林に囲まれた静かなところで、「大人のたしなみとして」訪れるような美術館でした。でもね、私は子どもにこそアートに触れてほしいと思うんです。子どもの感想って、ホントに面白いんですよ。東山魁夷の絵を見て、「この馬は何を考えてるのかな?」とか「友だちがいなくて寂しいんじゃない?」とか、話し出すんですから。
――すごいですね、感性豊か!
青山さん そうやって自分が感じたことを伝えたり、友だちの意見を聞いたりできれば、アートを好きになれますし、絵の見方のトレーニングにもなります。子どもに限らず、もちろん大人でも。疑問や発見がいっぱい生まれて、それについて語り合える美術館にしていきたいな、と思っています。
霜田さん 今は、もう美術館の役割が変わってきていますよね。海外から有名アーティストの作品を持ってきて「はい、見てください」とやる時代ではなくて。アートに親しみ、気づきを与えられるような役割が求められてきているんだと思います。
子どもの頃から、美術館に来る「くせ」を
――ワークショップ「子どもアートラボ」を毎月開催したり「ジュニアミュージアムガイド」をつくったりと、子どものための企画に力を入れていらっしゃいますね。これには、子どものうちからアートに触れてもらうことで、文化を未来につなぎたい、という想いがあるのでしょうか?
青山さん そうです。やりたいことが見つからなかったり、誰かと話したかったり、刺激が欲しくてうずうずしたり……そんな子が、いっぱいいると思うんですよ。「そういう子は、どんどん美術館においで!」って言いたい。美術館に来る「くせ」をつけてもらいたいんです。そして彼らが大人になったときに、自分の子どもをここに連れてきて、「ママは小さいときにこの絵を見て感動したんだよ」とか、「お父さんもここで作品をつくったんだぞ」って、ちょっと誇らしい気持ちで語ったりする。そんな美術館になったら、素敵だと思いませんか?
――それは本当に素敵ですね!
青山さん ここでイベントやワークショップをやっていると、子どもたちがリピーターになってくれるんですよ。「また来てくれたの?」とか「背が伸びたねー」と声を掛けると、すごく喜んでくれる。そして後日、美術館に興味のないお父さんを引っ張ってきたりして(笑)。新しくなった美術館を中心に、良い波が広がっている気がしています。
霜田さん 今は無料のスペースも多くなっていますし、本が読めるアートライブラリーもできて、美術館の利用の幅が広がりました。赤ちゃん連れのママや、制服のまま立ち寄ってくれる学生もいる。美術館が特別な場所でなく、日常の中のひとコマに溶け込みつつあることを実感しています。
一緒に美術館をつくっていく、アート・コミュニケータ
――長野県立美術館は、アート・コミュニケータを採用されています。これは東京都美術館で10年くらい前からはじまった取り組みですね。
青山さん はい。アート・コミュニケータは、美術館を拠点に「人とアートのつなぎ手」として活動する人たちです。来館者をご案内したり、ワークショップを企画したり、作家や子どもたちとのコミュニケーションの場をつくったり。美術館のサポーター的な役割もありますが、いわゆるボランティアとは違います。美術館スタッフと一緒にプログラムをつくって、職員として関わってもらう存在です。実は今インタビューを受けているこの部屋が、アート・コミュニケータさんたちのスタッフルームなんですよ。
――明るくて素敵なお部屋ですね。壁にたくさんの顔写真が貼ってあって……
青山さん この写真が、第一期のアート・コミュニケータです。今10代から70代までの34名が在籍しています。ちょうどこの前、彼らがゼロから企画した初めてのイベントが成功したばかりなんですよ。
――どんなイベントだったんですか?
青山さん 「土で描こう」というワークショップです。土を洗濯のりで溶いて絵の具のようにして、お絵かきをするんです。コミュニケータさんが近所や旅行先で集めてきた10種類以上の土を使いました。参加した9組中、8組がお子さん連れのご家族で、1組は大人の方で。私はコミュニケータさんたちから指示を受けて、動いていた感じです。
――コミュニケータさん主体で、美術館スタッフさんがお手伝いする形なのですね!
青山さん 「青山さんはこれをやっておいてね!」と言われて、私は手足のように動きました(笑)。イベントをSNSで告知したり、買い出しをしたり。この前は、頼まれていた材料の数が足りなくて「青山さん、足りないじゃない!」って怒られちゃいましたね(笑)。
――「土で描こう!」の評判はどうでしたか?
青山さん 大成功でした!すごく楽しかったです。用意した土は場所によって驚くほど色が違うんですよ!コミュニケータさんたちは、細かいところまで創意工夫していました。たとえば、できあがった作品を記念に撮影できるように、段ボールでつくった額縁を用意したり、芸術家っぽくなるように、ベレー帽を用意してくれたりね。
霜田さん 私も見に行きましたが、本当に盛り上がっていましたね。やっぱり土に触れるっていうのは、大地そのものに触れることですから、リラックスできたり、ストレス発散になるんですね。でも青山さん、最初にコミュニケータさんから企画を聞いたときは、厳しい意見を言ってたよね(笑)。
――え、どうしてですか?
青山さん 基本的に美術館は、土や草などの持ち込みは禁止されているんですよ。万が一菌などが繁殖すると作品の保存に影響が出てしまうから。だから「そこはどう解決するのか」という指摘はしました。そうしたら、コミュニケータさんたちは、この部屋にホットプレートを持ち込んで、使用する土をすべて焼いて、殺菌処理をしたんですよ。驚きました。「青山さん、これなら文句ないでしょう!」って言われて、「もう何も言うことはありません」って(笑)。私たちの想いに応えて、知恵を絞ってくれましたね。
――すごい!アート・コミュニケータさんたちと、良い関係づくりをされているんですね。
青山さん そうでうすね。私はアート・コミュニケータ担当の美術館スタッフではありますが、彼らより上の立場ではありません。美術館を良くするという目標に一緒に向かう仲間なんです。それに、アート・コミュニケータは長野市在住の方も多いので、地域と一緒に文化をつくりあげていく、という意味でも、なくてはならない34人なんです。
「公開制作」で、アートが生まれる瞬間に立ち会う
――館内では、公開制作もやられていますね。
霜田さん はい。こちらは私が担当です。本館の1階にあるオープンギャラリーに一定期間通ってもらって、作家さんに作品をつくってもらうんです。オープンギャラリーはガラス張りのアトリエになっているので、来館者が制作風景を見ることができます。
――制作する過程が見られるなんて、面白いですね。
霜田さん そうですね。美術館って、普通は「作品」という結果だけを展示している場所ですが「ちゃんと作家がいて、制作の経過があるんだ」と直に気づける、面白い取り組みだと思います。先日、ペインターの源馬菜穂(げんま・なほ)さんを迎えて、公開制作の第一回を終えました。来館者の方が、まるで子どものようにガラスに張り付いて、制作している様子に見入っていた姿が印象的でした(笑)。作家さんの意向にもよりますが、今後は中に入って直接お話ができるような機会もつくれたら良いですね。画家やペインターに限らず、彫刻家、アニメーションの作家さんなど、バラエティに富んだジャンルの方々を招きたいです。
青山さん 公開制作は、作家さんのアトリエがそのまま引っ越してきたようで、とても良かったです。私はその横でワークショップをしていたんですけど、子どもたちに「見てごらん、あそこに筆があるでしょう。あんなにいろんな筆を使うんだよ」って言うと、「すげー!!」って(笑)。みんな感激していました。
霜田さん あまりレジデンスで制作されることのない作家さんだったので、公開制作は新たなチャレンジであり、入念に準備をされたようです。「いつもと違った環境で集中して描くことができた」、という感想をいただけたのは、うれしかったですね。こちらとしても「作家さんにとってのメリットは何か」ということを自分たちに問いかけながら臨んでいたので。今まで築いたキャリアを広げたり、新しいことへのトライアルとして、ここでクリエイティビティを爆発させてもらいたい気持ちです。
これからの長野県立美術館について
――まだコロナの影響もあると思いますが、これからの長野県立美術館が目指す姿を教えてください。
青山さん 正直、今はコロナの打撃が大きく、できないことが多くて悔しいです。今年の夏は、あまりのもどかしさに、じんましんがでましたよ(笑)。それくらい、やりたいことがいっぱいあります。たとえば、「おやこでトーク」という対話型鑑賞のイベントを企画しているんですが、それも今、ほとんど中止になってしまっていますし……。この状況が早く落ち着いて、いろいろな人に美術館に足を運んでもらって、新しい出会いや、語り合える機会がつくれることを願っています。
――もっと外からの観光客を増やしたいという想いはありますか?
青山さん たくさんの人に来てもらいたい気持ちはありますが、それよりも、「長野県立美術館に来て、何を持ち帰ってもらうか」を大事にしていきたい。「これが良い絵ですよ」と、こちらから押し付けるのではなく、「私、これ好きだな」と思う作品を一つ見つけられるような。そんな経験ができる美術館でありたいと思います。
霜田さん そうですね。子どものときに見た絵が、大人になったときに「あのときの絵が、あれだったんだ!」と思い出されて、新しいものが生まれるきっかけになる可能性もあります。それが未来へ文化をつないでいくことにつながっていく。そのために「アートの入り口」を提供していくことが、私たちの使命なのだと思います。
<インタビューを終えて>
長野県は、美術館や博物館の数が日本で一番多い県であり、文化や芸術への関心が高い地域です。自らの作品や農産物を公の場で展示するなど、文化発信の取り組みも昔から盛んだったといいます。
今回、長野県立美術館を拠点に、地域のみなさんが積極的にアートに触れ、文化芸術活動に親しんでいることを知り、好奇心旺盛な県民性を改めて感じることができました。 美術館スタッフのお二人からは「美術館は開館したけれど、完成ではない」という言葉もありました。
これは、地域と共にこれから育っていく美術館であるということです。生まれかわった長野県立美術館をきっかけに、地元住民のみなさんが文化資源の価値を再発見することができたら、地域全体の活性化、そして文化観光につながっていくのではないでしょうか。
これから、長野県立美術館がどんな進化を遂げるのか、とても楽しみです。
文化観光コーチングチーム「HIRAKU」コーチ
小笹義朋(株式会社ART OFFICE OZASA代表取締役)