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「だれもが楽しめる美術館」 ユニバーサル展示の気づきを発信する京都国立近代美術館

 「見る」だけでなく「触る」「聞く」といった、様々な感覚を使って作品を楽しめるユニバーサル展示に力を入れているのが京都国立近代美術館(MoMAK)です。障害のあるなしにかかわらず、「誰もが同じように満足できる空間」の可能性を追求し続けてきた同館は、まず「美術館はこうあるべきだ」という思い込みを見直すことから始めました。国内外から来館者を迎える文化観光の視点からだけではなく、多様な利用者に開かれた文化施設を目指すために取り組むべき重要な視点です。


 真っ白な紙の上に、絵の輪郭が浮き上がるような加工がされている。指でなぞると、カーブしていたり、ふくらんでいたりして、どんな形をしているかがわかる。これは視覚障害のある方が、触覚を使って作品を鑑賞できる「さわるコレクション」の1つだ。

竹内栖鳳「春雪」(1942年)=上=と、その触図(提供:京都国立近代美術館)

さわって美術が鑑賞できるコレクション

 これを触図しょくずといい、指や手でさわって様子がわかるように浮き上がらせている絵や図のことだ。点字の解説シートもセットになっている。

 MoMAKは2017年(平成29年)から「感覚をひらく ― 新たな美術鑑賞プログラム創造推進事業」をテーマに掲げ、誰もが楽しめる鑑賞の在り方の検討を文化庁の支援も受けながら推進してきた。この「さわるコレクション」の作品は、その活動の一環として作られたものだ。

数多く触図を取りそろえた「さわるコレクション」(提供:京都国立近代美術館)

 陶芸作品や彫刻、抽象画などもあり、内容はバラエティに富んでいる。浮き上がるエンボス加工だけでなく、厚紙を重ねて線を表現したものや、組み立てるペーパークラフト型になっているものもあった。

 同館は、毎年1000部を製作し、全国の盲学校やライトハウス、県立図書館などに郵送しているという。MoMAK学芸課の松山沙樹・研究員は「美術館に行ったことがない人や、初めて美術に触れる人への『招待状』になるように、と考えました」と語る。

 「郵送すれば全国に美術の魅力を届けることができます。例えば、これに触れてくれた盲学校の生徒さんが、ふっと『修学旅行でこの美術館に行ってみようかな』なんて思ってくれたら、うれしいですね」(松山氏)――。未来のアーティストやアートファンが生まれるきっかけになることを期待している。

点字にすると情報量が膨大になり表記難しく

 こうした活動をはじめるようになったきっかけは、ある市民団体の活動だったという。「視覚に障害のある人とない人が一緒に美術館に行き、言葉を通して美術鑑賞をする取組をしている団体です。うちの美術館にも年1回ほどのペースで来てくださっていました。普段は静かな美術館ですが、この時はおしゃべりOK。みなさん和気あいあい、絵について楽しく語り合っている様子を見ているうちに、『見えない方が普段から楽しめるように、美術館としてもっとできることはないか』と考えるようになったんです」

京都国立近代美術館学芸課の松山沙樹・研究員

 そうした発想から、同館は音声ガイドによる案内や点字付きインターホンの設置といった従来の取組に加えて、見えない方が美術館に来やすくなるような施策も始めた。特に力を入れたのは「点字パンフレット」の製作だ。

 既にある美術館のパンフレットをそのまま点訳すればいい、というわけではない。「想像していたよりも、ずっと困難な挑戦でした」と松山氏は振り返る。「点字というのはひらがなと同じで、1つの文字が1つの音を表す『表音文字』なんです。ですから、現状のパンフレットの内容をぜんぶ点字に翻訳しようとすれば、文字量は膨大になります。しかも点字はサイズが決まっているので、デザインの都合で小さくしたり、大きくしたりもできないのです」

自分たちでは気づかなかった「感じたい情報」

 松山氏と同じく学芸課に所属する牧口千夏・主任研究員も説明する。「見えない人の中には、一度も美術館に来たことがない人や、そもそも美術館の存在を知らない人もいる。なので、既存のパンフレットとは発信する情報そのものから見直す必要がありました」

京都国立近代美術館学芸課の牧口千夏・主任研究員

 点字パンフレットを本格的に製作しようと、MoMAKは2017年度から視覚障害の当事者で、かつユニバーサル・ミュージアムのプロジェクトに取り組んでいる広瀬浩二郎氏(国立民族学博物館教授)を協力者に迎えた。点字の基本ルールや、“見えない人にとっての世界”の常識を、教えてもらうことからのスタートだった。

 「パンフレットは、見えない方々が『美術館に行ってみたい!』と思えるような内容を目指しました」と牧口氏。試行錯誤の末、点字・拡大文字による同館のパンフレットができあがった。手で触ることのできる屋外彫刻や建築の紹介、対話による作品鑑賞のヒントなど、これまでにない楽しみ方が紹介されている。

点字・拡大文字で制作したパンフレット(提供:京都国立近代美術館)

 冒頭で紹介した「さわるコレクション」も、同館所蔵のコレクションから作品を選んで製作されている。2019年からは視覚障害のある方もモニターとして参加し、触図にする作品を選んでもらうことにした。そこでも思いがけない新たな発見があった。

 「見えない方が選んだ作品が、井田照一という作家の『Weekday』という、とてもシンプルなリトグラフ作品でした。選んだ理由を尋ねると、『見える人たちが、この絵をすごくいろいろなものに例えていたのがおもしろかった』と答えたんですね。腕輪、ひも、道路……説明する人によってイメージがまったく違ったと。それが興味深かったと説明してくれました」と松山氏は解説する。

井田照一『Weekday』の触図にある表紙(提供:京都国立近代美術館)

 そうして生まれた『Weekday』の作品解説が、以下である。
 「例えば、ある人にはこの作品が青い空と、赤い腕輪の巻かれた女性の白い腕のように(見える)。ある人には、青空の下そびえたつ白い壁に赤いひもが垂れているように。ある人には青空と、白い山に引かれた赤い道路。ある人には、白いプールサイドから青い水面へ垂れ下がる赤いロープ……といった具合に。ただ3つの色と形のみからなるこの版画は、具体的で豊かな場面をさまざまに導くマジックを秘めている」(一部抜粋)

「さわるコレクション」の井田照一『Weekday』(提供:京都国立近代美術館)

 それまでの作品解説は、作者の紹介や、色の説明だけになりがちだったという。しかし、見えない人が考える観点が入ったことでイマジネーションが広がる豊かな内容になった。

 牧口氏は「私たちであれば、有名な作品や美術館を代表するような作品を中心に選んでしまいます。しかし、『見える人と見えない人が一緒に楽しめる作品はこういうものなんだ』とハッとさせられました」と、当時の衝撃を思い出す。現場に立ち会うたび、新しい気づきをもらえることに喜びを感じるという。「見えない方のためにサービスを提案しているようでいて、実は私たち美術館の方がたくさんの学びをもらっています」(牧口氏)

ユニバーサル展示の視点を発信していくプロジェクト

 2020年からは、これらの気づきをアウトプットする「ABCプロジェクト」も開始した。作家(Artist)、視覚障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)が、それぞれの専門性や感性を生かし、触覚や聴覚などの、さまざまな感覚を使った鑑賞方法を創造するプロジェクトだ。これも文化庁の「Innovate MUSEUM」事業による支援の一環で、視覚障害のある当事者を「企画者・発信者」として協働関係を築きながらプログラム開発を進めてきたものだ。

 京都で活躍した陶芸家・石黒宗麿の残した陶片をさわって読み解く企画や、同じく陶芸家の河井寬次郎の暮らしぶりを体感する企画などを、これまで実施してきた。2023年度は洋画家・長谷川三郎の作品『蝶の軌跡』を元に、現代作家が粘土やロープ、小豆などの素材を組み合わせた触図を作り出している。

 触れることができる展示を、会期の長いコレクション展に組み込むことは、鑑賞者にとっても、館にとっても、大きなチャレンジとなった。

長谷川三郎『蝶の軌跡』を基につくられた触図を解説する松山氏(左)と牧口氏

 「普通なら、美術館の作品に触れることはご法度とされます。そういう中で『さわれる』展示空間をつくることは、私たちにとっては新しい挑戦でした。このABCプロジェクトの活動が、『みる』ことを中心としてきた美術館での経験を問い直し、美術館の活動をもう一度見直す機会にもなっています」と松山氏はいう。

「コネクト」成功のカギは“横のつながり”

 MoMAKは文化庁が主催する「CONNECT⇄_(コネクト)」にも参画している。コネクトはアートを通じて多様性や共生社会のあり方に関心を深めることを目的としたイベントだ。2023年はMoMAKのほか京セラ美術館(京都市)、京都府立図書館(同)、ロームシアター京都(同)、京都市動物園、京都市勧業館「みやこめっせ」が会場となり、お互いに連携しながら、企画展やトークショーなどを開いている。

 例えば、ロームシアター京都は「鑑賞マナーのないダンスパフォーマンス」を開催。これは一緒に踊ってもOK、泣いても笑ってもOK、途中の出入りもOK――というパフォーマンスだ。環境の変化が苦手な方のために、急に暗くなったり大きな音が出たりしないような配慮もされている。

 一方、MoMAKや京都市京セラ美術館はアートを体験したり、つくったり、くつろいだりできる空間「うずうず広場」をオープンした。MoMAKの広場には京都府立盲学校高等部の生徒さんたちが制作した「狛犬」をはじめ、多数の作家による表現や作品が紹介された。「狛犬」は作家・中村裕太氏とともに開催した出張ワークショップでの作品だという。

 京セラ美術館の広場では、コネクトのこれまでの取組を紹介するアーカイブ動画が上映された。

京都国立近代美術館/1階「うずうず広場」
京都国立近代美術館にある京都府立盲学校高等部の生徒作品 「暑くて垂れてしまった狛犬」

 さらに京都府立図書館では、開館150周年を記念して当時の本や関連史料などを公開。あわせて展示解説の点訳や、孔雀図の触図も展示している。

京都府立図書館の展示解説の点訳と『孔雀図』の触図

 2024年で4年目となるコネクトだが、この企画がはじまる前から、MoMAKをはじめとした岡崎公園エリアの文化施設には横のつながりがあり、連携はスムーズだったという。

 「周辺にある文化施設とは『感覚をひらく』の関連イベントでも協働しています。顔を見て話ができる関係性があり、みなさんそれぞれ企画力をお持ちなので、とても頼りになる存在です。距離も近いので、相談事があればちょっと出向いてその場で話し合うこともあります」(牧口氏)

参加の6施設には「CONNECT⇄_」オリジナルスタンプを設置。
スタンプを集めると記念品がもらえる

ユニバーサル展示の情報を共有できる場を広げたい

 点字パンフレットや『さわるコレクション』の製作で苦戦していた松山氏は「同じような悩みを抱えて、同じように行き詰っている施設もあるんじゃないか」と考えていたという。「そういう施設同士が情報を共有し、一緒に解決策を探っていけるような場があれば、ユニバーサル・ミュージアムやアクセシビリティの推進も、もっと進むのではないか」と考えた松山氏は、他の文化施設との横のつながりや情報共有が今後、重要になるとみていた。

 海外では解説に必ず手話の動画が付いている美術館もあるという。国内でも同様の取組は徐々に広がりつつあり、「ギャラリーTOM」(東京都渋谷区)や、「桜井記念 視覚障がい者のための手でみる博物館」(岩手県盛岡市)といった文化施設が、視覚障がい者向けの展示に取り組んできた。

 松山氏は「(MoMAKのある)岡崎公園エリアの関係性がモデルケースになり、全国にも広がっていけばいいなと思っています」と述べ、コネクトのような場をきっかけに近隣施設との連携が深まり、気軽に話し合って情報共有ができるような空気が広がることを期待する。

 あらゆる人に開かれたミュージアムを目指し、展示のユニバーサル化が必要だと感じている文化施設は増えている。多様な来館者に鑑賞の機会を広く提供するユニバーサルな展示は、観光目的で訪れる多くの一般来館者にも新しい鑑賞体験や豊かな学びを提供する。

【京都国立近代美術館:The National Museum of Modern Art, Kyoto】京都市左京区の岡崎公園にある美術館。1963年(昭和38年)に東京・竹橋にある国立近代美術館の「京都分館」として開館し、1967年に独立。工芸品を中心に絵画、彫刻、写真、現代美術など、約1万3000点の幅広いコレクションが所蔵されており、全国でも有数の規模と内容を誇る。

(取材・写真:西野聡子、文・構成:馬渕祥子、編集:三河主門)

※扉の写真は2018年8月に実施したワークショップ「美術のさわりかたツアー」で、所蔵作品をふれて鑑賞する様子。(提供:京都国立近代美術館)