いにしえの水路復活と、阿波の「さしすせそ」で浮かび上がるJAPAN BLUEの源流文化
「徳島」ときいて何を思い浮かべますか?
みなさんは、「徳島」と聞いた時、何を思い浮かべるでしょうか?
阿波踊り、鳴門の渦潮。この2つが頭に浮かぶ人は少なくないでしょう。
では、それ以外は……?
鳴門の鯛や鳴門金時、すだち、徳島ラーメンなどは出てくるかもしれません。しかし、日本でも屈指の秘境と言われる県西部、祖谷(いや)のかずら橋や大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)。ポカリスエットやオロナミンCの大塚製薬、青色LEDの日亜化学。日本で唯一電化された鉄道路線がない……などが思い浮ぶ方々はもしかしたら徳島にお知り合いがいらっしゃるのかもしれません。
今回は、徳島の「文化」について考えてみたいと思います。私は鳴門市大麻町にルーツがあり、阿南市や徳島市で生まれ育ちました。どちらかというと徳島県の東部出身の人間です。
しかし、県外の知人から「徳島の文化って何?」と聞かれたときに、答えに窮することがありました。「藍染や大谷焼、阿波人形浄瑠璃、阿波和紙や遊山箱とかかな……?」と名称を列挙するのが精一杯で、そういった文化が
なぜその場所に発生し、今に至るまで根付いているのかといった背景を伝えることができなかったのです。
「阿波踊り」以外にも徳島の文化はあるはずなのに、なかなか伝えられない徳島県民は多いように感じます。さぬきうどんのある県とたまに間違われますが、それはお隣の香川県ですし……。
知られていなかった撫養港基点の交通網
かつて徳島県は阿波と呼ばれ、鳴門海峡に程近い撫養(むや)港は阿波第一の商港でした。阿波藩の2大産物であった鳴門の塩や、当時日本最大の製造量を誇った阿波藍を全国各地に出荷していました。明治時代に日本を訪れた外国人が「この国は神秘的なブルーに満ちた国」と評したこともあったそうですが、当時の日本中を染め上げた深い藍色、いわゆる「ジャパン・ブルー」のもととなる藍は、阿波によって全国へもたらされたものだったのです。
撫養港は、阿波藩だけではなく四国全体の玄関口としても様々な流通のハブになっていました。県外へ輸送する藍や塩が、阿波国内から集まる一方で、阿波国外から届けられた品が国内各地に舟運されていきました。
また、撫養港から阿波西部を経由して松山藩(現在の愛媛県)へ向かう撫養街道もその水上交通ルートと並走する形になっています。撫養港を基点とする陸上交通・水上交通を俯瞰すると、阿波藍や鳴門の塩を運ぶ水上交通が経済の大動脈になっており、その動脈に沿う形で様々な文化拠点の位置関係が数珠をつなぐように結びついていることが分かってきました。徳島県内に散在していたように感じられていた文化拠点の位置関係には明確な文化的背景が存在していたのです。
また、藍流通を司る藍商人の活動を契機に設立された私立銀行は、現在阿波銀行として徳島県の経済を支えています。また、鳴門の塩を製造する際に産出される「苦汁(にがり)」をつかった製薬原料を製造していた会社は、今では大塚製薬として誰もが知る製薬会社となっています。徳島県をとりまく現代経済が、阿波藍や鳴門の塩業などの文化を発端に、今に至るまで地続きになっているのです。そして、その文化を支える強力なインフラのひとつが撫養港を基点とする水上交通ネットワークでした。
明治から昭和初期にかけて徳島県鳴門市から徳島市をつなぐ「撫養航路」をはじめとする水上交通は舟運を中心にとても賑やかでした。しかし、自動車の普及によって廃れ、今では県民の中でも知る人は非常に少ない状態です。最近ではNPO法人「新町川を守る会」が撫養航路を舟旅ルートとして復活させる試みを行っております。
水路を復活させよう!新・撫養航路で見えたもの
復活した撫養航路の周辺には、四国三郎と呼ばれる豊富な水量を誇る吉野川水系や、その支流にあたる旧吉野川水系など、阿波藍を育む土壌を涵養する河川や水路が非常に多く存在します。
今回の文化観光コーチングでは、徳島県の文化施設、DMO、地域団体の方々との共同ワークショップを何度も重ねながらこの水路を活かした「新・撫養航路」とも呼ぶべき新たな航路をプロトタイプとして提案しています。
「新・撫養航路」では、撫養港を基点に古からの景勝地である小鳴門海峡、阿波藍を育んだ吉野川水系、徳島市内をつなぐ水路を巡ります。
例えば、撫養街道沿いの大谷エリアでは、藍染を行うための大きな陶器である藍甕(あいがめ)を古来より製造する大谷焼や、鳴門の塩を利用した醤油・味噌などの醸造文化が酒蔵と併存する形で存在しています。
今までは自動車でなければアプローチが難しいエリアでしたが、水路を利用しても到達できることが地域団体の方々による調査の結果明らかになってきました。
吉野川中流域から紀伊水道の海へ至る航路では、阿波藍を育む豊かな吉野川本流沿いを下りながら文化拠点施設である藍住町の「藍の館」や、徳島市川内町の「阿波十郎兵衛屋敷」に立ち寄ることができそうです。ルート全体を俯瞰しても、鳴門市大麻町や北島町や松茂町など、阿波藍文化と関わりの深い地域を巡ることができます。
阿波徳島の「さしすせそ」とは?
その上で、もうひとつ阿波徳島の文化について理解を始めるための仕掛けを用意しています。料理における「さしすせそ」を基に、阿波藍や鳴門の塩・水上交通が育んだ阿波徳島の「さしすせそ」を、新・撫養航路における食のコンテンツとして提供してみたいと思っています。
「さ」は阿波和三盆糖
「し」は撫養の塩
「す」は徳島のスダチ
「せ」は鳴門の醤油
「そ」は御膳味噌
新・撫養航路を体験する中であるときは休憩中のお茶菓子、旅の終わりには一式が詰まった遊山箱弁当を手に、雄大な吉野川を背景に阿波藍商人ゆかりの人形浄瑠璃を旅の締めくくりに楽しむのはいかがでしょうか。
新たな航路で描く、文化に根差したインフラの可能性
「新・撫養航路」では、本州や海外から徳島へ来訪する場合の玄関口となる徳島阿波おどり空港や、松茂バスターミナル+マツシゲートを起点として、比較的季節や天候・潮位に左右されづらい短距離での水上交通ツアーをプロトタイプとして試行しつつあります。いままで地域の方に忘れられかけていた水上交通は、それ自体が新たな経済のきっかけとして利用できるインフラになり得る可能性があります。
新・撫養航路を試行し、より良いものにアップデートしていく過程の中で、すでに各地域で様々な取り組みや活動をなされている地域の方々からの参与やアドバイスをいただく予定です。
阿波徳島の文化を理解するための「文化の乗り物」という役割だけではなく「経済の乗り物」としての役割も得られればと考えています。
それが、新・撫養航路自体を経済的に持続可能な事業として発展させていくためにはきっと欠かせない要素になるでしょう。
徳島文化への水先案内を目指して
今回のプロトタイプにおける試行はまだ始まったばかりですが、
関係者のご協力の中で、コンパクトながらも「こんな阿波徳島の文化があったんだ!そしてその文化がこんな形で現代経済や社会に息づいているんだ!」という感動のチャンスを提案できる「小さな試行」を本年度中に実現できそうです。
その試行を基に、まずは撫養港から、阿波への玄関口である徳島県東部の文化観光の雛形を作り上げるお手伝いをしております。「阿波踊りの季節以外にも、何回も徳島に来たくなるええもんあるんじょ」と徳島の方が言いたくなる未来を作れるよう、引き続き、支援を行ってまいります。
水上交通や阿波の「さしすせそ」をコアとした文化観光の雛形は、例えば阿波藍商人が大拠点を築いていた県中西部の「うだつの町並み」や、県西部の世界農業遺産をはじめとする棚田・醸造文化、そして阿波藍のジャパン・ブルーを受け止める白い阿波太布や阿波和紙などが根付く山間地域などにもひろく展開可能なアイデアだと受け止めています。
かつては重要な仕組みとして存在しつつも、現代に至る時の流れで意識にのぼらなくなってしまった、都市の文化と経済を駆動する「見えない構造」。土地に根付く人々と共に新たなインフラとして復活させることで、他の地域では決して再現されない文化と経済を保全・促進する取り組みが可能なのではないでしょうか。
文化観光コーチングチーム「HIRAKU」コーチ
長﨑 陸(kaimen Strategic Prototyping and Development 代表)