【奈良県明日香村】伎楽(ぎがく)再現への道
かつて「伎楽」は、仏教を庶民に広めるためのツールだった
長島コーチ 伎楽とは、どういうものなのでしょうか。
森川村長 伎楽は、獅子や迦楼羅(かるら)、呉女(ごじょ)などさまざまな仮面をつけた演者が音楽に合わせて踊る、せりふのない無言劇です。古代中国の呉でつくられたため、呉楽ともいわれますが、呉から朝鮮半島に伝わり、日本へと伝えられました。インドでおこった仏教がシルクロードを経て中国に伝わることとあわせて、インドや西域、そして呉の仮面から古代アジア世界の大交流とそれを受け入れる国々の柔軟さがわかります。
日本に伎楽が定着したのは、聖徳太子の命を受けて百済から日本にやってきた味摩之(みまし)が、ここ明日香の地の子どもたちに最初に伎楽を教えたことからといわれています。演目の中には、酒の飲みすぎを戒めたり、不貞行為を罰したりするような内容があり、「和を以て貴しと為す」に象徴される仏教の教えが組み込まれたストーリーになっています。
聖徳太子には、仏教を広めて人々をまとめ、新しい国をつくりたいという狙いがありました。しかし、その頃の庶民はまだ文字が読めなかったため、言葉で仏教を教えていくことは困難でした。そこで、言葉のいらない無言劇である伎楽を利用して、仏の教えを広く伝えようとしたんですね。つまり、伎楽は庶民へ仏教を広めるための大事なツールだったと考えられます
これは私の個人的な解釈ですが、仏教と儒教のどちらが合っているかというのは、「自然との付き合い方」によると考えています。中国のように人口が多く、自然との距離がある国は、いかに多くの「人」をコントロールして国を統治していこうと考える。だから人間同士の秩序を重視し、君子を敬い、礼節を重んじる儒教の考え方が広がっていきます。
一方、日本のように海や山、川など多様な自然に囲まれた国は、「自然」に対応していく生き方が必要です。自然は豊かな恵みも与えてくれますが、地震や洪水、津波などのさまざまな災害が起こることもあります。自然と上手に付き合っていくためには、人々が集結し、協調していくことが必要です。だから日本では、和合の精神の重要さを説く仏教がずっと残り続けてきたのだと思います。
新たな価値観が求められているいまだからこそ
長島コーチ 仏教を伝えるためのツールであった伎楽を、いま明日香村で復興させようとしているのはなぜでしょうか。
森川村長 新型コロナウィルスの流行やウクライナ侵攻、地球温暖化……。近年の私たちはさまざまな課題に直面しています。これまで当たり前と思っていたことが当たり前ではなくなり、新たな価値観や新しい人との関わり方が求められるようになりました。
金野コーチ そうですね。消費だけを楽しんでいた受け身の時代から、自ら動いて新しい価値を生み出す時代になってきていると感じています。
森川村長 はい。そこで伎楽がかつての役割と同様に、今新たな役割を担えるのではないかと考えました。先ほどもお伝えしたように、伎楽はもともと聖徳太子が仏の教えを広め、古代飛鳥時代を新たに切り拓くために必要としたツールでした。
21世紀を迎えたいま、時代は再び大変革期を迎えています。これまでの常識が通じなくなり、進むべき道を見失ったり、未来に不安を抱えたりしている人も少なくないでしょう。
だからこそ、このタイミングで飛鳥時代に伝えられ、仏教という価値観を多くの人にわかりやすく伝えた伎楽をもう一度村内で再生し、今の新しい価値観や何を大事にして新時代を生きるかのヒントを発信できればと考えています。
少し前までは、経済的に豊かであることが幸せだと思われていましたが、その価値観も揺らいでいますね。日本にはたく
の素晴らしい自然があり、その恩恵を授かってきた国でもあります。新時代を生きていくためには、そういう「豊かさ」に、もう一度目を向けていくことが求められているのではないでしょうか。
金野コーチ そういう意味でも、明日香村は昔ながらの日本の自然がしっかりと残されていて、「豊かさ」にあふれた場所ですね。先日、明日香村の中を散歩していたのですが、めったに見られないカワセミに遭遇して、驚きました。
森川村長 はい。明日香村は「明日香法(※)」という特別な法律もつくられ、日本人の心のふるさととして大切に守られてきた場所です。春は小鳥、初夏はカエル、真夏はセミ、秋は虫の声で目を覚まし、秋の夕方は可愛らしい鹿の鳴き声も聞こえます。季節の移り変わりを生き物の声で知るという、本当にぜいたくな環境です。
そういう明日香村だからこそ、お金に換えられない豊かさや、すでにある幸せに目を向けることの大切さなど、新時代の価値観を伝えていく使命もあると思っています。そのためにも、ぜひ伎楽を復興させたいのです。
ただ、村の中で伎楽を忠実に再現するだけでは、持続性のある文化に育てていくのは難しい。伎楽を長く続く文化の柱にするためには「伎楽をやりたい」と思ってくれる仲間を増やし、時代に合った世界観をつくりあげていくことが必要です。いまは、そのための「苗床づくり」を行っているところです。
文化の芽吹きを促す「苗床づくり」
金野コーチ なるほど。伎楽復興に向けた「苗床」は明日香村がつくるので、種を植えたり、花を咲かせたりする過程にはいろいろな人に参加してもらいたい、ということですね。
森川村長 はい。村の中だけでやろうとすると、かえってうまくいかないと思っています。広く村外に住む人たちにも「伎楽って面白い」と思ってもらい、一緒に文化の担い手や支え手になってもらうことが必要です。そのための下地をつくることが、いまの私たちの役割です。
長島コーチ 苗床づくりのために、いまどんなことをやっていますか?
森川村長 まず最初は2021年に、村の住民に向けたワークショップを行っています。天理大学の雅楽部の学生さんを招いて、実際に伎楽を演じていただき、村内の皆さんに伎楽に触れてもらうきっかけをつくりました。
その後には、明日香村立明日香小学校で伎楽の体験授業を行いました。伎楽の歴史を知ってもらい、実際に面を着けてもらったり、楽器を演奏してもらったりしました。そこで興味を持った有志を集めて、子どもたちの伎楽団を結成しています。放課後に練習を重ねていて、2023年の2月19日には、お披露目ワークショップを行いました。
伎楽用の仮面も作りました。本来の面は木彫りのものですが、子どもにたちには重すぎるので、紙製のものを用意しています。将来、伎楽を演じるステージには、大化の改新が行われた「飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)」なども考えています。実際、飛鳥時代にもここで伎楽を演じていたようなので、できれば再現できたらいいなと思い、検討しているところです。
プロのクリエイターやダンサーも巻き込みたい
長島コーチ 例えば、映画監督やCMディレクターなどのクリエイターに伎楽のシナリオを書いてもらったり、プロのダンサーやアーティストに演じてもらったりできれば、面白くなりそうですね。
森川村長 そうですね。私自身も、2001年に野村万之丞氏(2004年6月死去、和泉流狂言師)の「真伎楽(※)」を観に行ったことが、伎楽の面白さを知るきっかけになりました。世界中のダンサーが伎楽を演じていたのですが、とても素晴らしかった。プロの方が持つ圧倒的な伝達力を感じました。
プロの方に入っていただくことで、伎楽を通して私のような感動体験を多くの方にしていただけるようになったら、うれしいですね。
金野コーチ 伎楽復興に向けて、村内の熱量を上げて、ステージや仮面などの準備も進めておくので、それらを活かして新しい伎楽を生み出してくれる仲間を求めているということですね。
森川村長 はい。もちろん「伎楽を通して新しい価値観を発信する」という軸はありますが、その表現方法は自由に、いまの時代に合ったものをつくっていければと考えています。
その土地にずっと住んでいる「土の人」と、他所からやって来たり、よそに住んでいたことがある「風の人」という考え方がありますが、明日香村にいる「土」の私たちが苗床をつくりますので、「風」の人に種を植えてもらって、一緒に新しい花を咲かせていけたらうれしいです。そのための知恵を、ぜひ貸してください。
長島コーチ 明日香村のつくる伎楽の苗床にどんな花が咲くのか、考えるとわくわくしますね。ありがとうございました。