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小樽の歴史的遺産を磨き直し、地域の良品づくりをプロデュース

歴史の重みがある建造物がつらなる北海道小樽市の街並みは、それ自体が文化と観光の旗印となって人を集めます。小樽市は、明治以前には北前船の寄港地として、そして明治期からは北海道開拓者を迎える「海の玄関口」として大きく栄え、2022年に市制100周年を迎えました。その文化観光の資産(アセット)を活用して、特長ある雑貨・グッズ、みやげものの開発を進めてきた「小樽百貨UNGA↑」の取り組みに迫ります。

「小樽百貨UNGA↑」の立役者となった白鳥陽子さん

白鳥 陽子(しらとり ようこ)さん
北海道釧路市生まれ。カンディハウス(旭川市)などを経て、2011年「zenibakostyle shop&gallery」(小樽市)代表。
うんがぷらす株式会社取締役プロデューサー。小樽観光協会理事、小樽市文化芸術審議委員、NPO法人 OTARU CREATIVE PLUS理事なども務める。


歴史ある建物を活用し、文化の価値を再発見

JR小樽駅から港に向かって徒歩8分。小樽の観光名所となった運河沿いにある石造やレンガ造の建物が並ぶ一角に、小樽の名産品を扱う販売店舗「小樽百貨UNGA↑(うんがぷらす、以下UNGA↑)」はある。

歴史的建造物の中に入居した小樽百貨UNGA↑

旧小樽倉庫本庫事務所棟の1階を店舗、2階をギャラリー・事務所として令和元年(2019年)12月に開店した。この建物ができたのはちょうど130年前の明治26(1893)年。日本海を航路に北海道と全国をつないで商いをしていた「北前船」を発祥とし、海運業を営んだ石川県出身の西出孫左衛門(にしでまござえもん)と西谷庄八(にしたに しょうはち)が設立した北海道初の営業倉庫だ。

「以前は小樽市観光協会が2階に入居していたのですが、そこが空くことになったタイミングで事務所棟を1棟まるごと小樽市より借りられることになりまして。やはり、小樽の名品・産品を売るなら歴史的建造物に店を構えたいという想いもあったので、ここにUNGA↑を出店しよう、となりました」

UNGA↑の運営会社、うんがぷらす(北海道小樽市)の取締役プロデューサーである白鳥陽子さんはそう話す。

地場の企業と組み「小樽ならでは」を模索

UNGA↑は、小樽とその周辺にある地場の企業に、菓子や海産品の缶詰のような加工食品、また生活雑貨や衣類などを企画して製造委託し、できた商品を販売するのを主力としている。

UNGA↑に隣接する、同じく旧小樽倉庫の別棟の建物には小樽市の観光物産拠点「運河プラザ」があるほか、小樽市総合博物館の「運河館」といった施設がある。白鳥さんは「博物館とは持ちつ持たれつの関係と言えばよいのか、そのミュージアムショップのような役割を果たしています。また『小樽らしさ』を体現するお土産品や物品の開発拠点も兼ねています」と説明する。

UNGA↑のコンセプトは「小樽を、贈る。」だ。販売するのは地元・小樽にちなんだ名品や土産物と、「北前セレクト」と名付けた北前船の寄港先である日本海沿いの街の特産品である。

小樽の歴史を伝えるオリジナル商品の開発に力を注いできた

「小樽らしさって何だろう、と考えた時に、この町が持っている歴史というバックグラウンドに自然と目を向けざるを得ませんでした」と白鳥さんは解説する。

小樽といえば、UNGA↑が面している小樽運河は観光名所の一つでもある。
では、なぜ運河がここにできたかを考えると、やはり明治時代から北海道でとれた昆布や海産物を日本海側の港町や上方(現在の大阪)方面に“輸出”し、またそれら各地で産出された産品や建材や工業品などを“輸入”してきた海運ネットワークを担った北前船に行き着く。

ゆきかった物資とともに、開拓地だった北海道に「文化」を持ち込んできた北前船を起点とする経済が、小樽という街を造り上げ、育んできた。その文化と、観光をダイレクトに結びつけて、小樽ならではの商品をつくってきたのが、企業の「うんがぷらす」なのである。

また、「小樽を、贈る。」でスタートしたUNGA↑だが、現在は、「小樽から“北海道”を、贈る。」と、事業の幅を広げ、小樽、札幌を中心としたプライベートガイドツアー事業や小樽から北海道の商材を届ける卸売事業など、自らのブランドストーリーを活かしながら、現代版北前船船主のように商社としての活動も進めている。

明治末の小樽倉庫。のちに運河造営のもとになった艀が並んでいる。
(写真:小樽市総合博物館 提供)

最初に企画・開発した菓子では、北前船が積荷として運んできた「屋根瓦」をイメージした、北海道産の素材で作ったバームクーヘンを切って小さくし、キャラメルパウダーをかけて焼いてラスク状にした「小樽瓦焼バウム」を生み出した。

積荷として運んだ瓦をイメージした「小樽瓦焼バウム」

「北前船は、運ぶ品物がないと軽さで横倒しになるリスクもあったそうです。重量のある瓦は、船底にあるバラスト(重石)代わりにもなり、北海道まで運ばれ、今も小樽に残る瓦屋根の景色に繋がっています。そんな歴史を知るきっかけになればと思ったのです」

 北前セレクトも、やはり「北前船の寄港地と小樽のつながりを考えることにつながれば」と白鳥さんらは考えたという。北前船が立ち寄った秋田、山形、新潟、石川などの各県にある酒造の清酒や梅酒を置いているほか、「佐渡島の藻塩」「輪島の漆器」や、各地で産する布地でつくった服飾や、バッグ、ポーチなどのおしゃれな雑貨なども販売している。

北前船が帰港した土地の逸品を集めた「北前セレクト」

また小樽を中心に各地で活躍する工芸品作家らの陶器や作品も販売しています。「レトロで、ノスタルジックな港町ということだけでは、観光のアピールにはなってもまだまちの魅力を伝えきれていないと思うんですよね。街が持つ歴史と文化のバックグラウンドを、どう形にしていくか。そうした良品を地域の様々な人たちと考えて作り出していくことが、地域振興の一助になればと思っています」と、白鳥さんは力を込める。

各地で活躍する工芸品作家らの陶器や作品が並ぶ

歴史の風雪に耐えた建造物こそ小樽の財産

小樽では今、運河沿いに建つ(ほっかいせいかん)の大型倉庫「第3倉庫」を保存・活用しようとの活動が動き出している。第3倉庫は大正12(1923)年に小樽運河ができた翌年に完成という、100年の歴史を持つ鉄筋コンクリートの建造物だ。

100年の歴史を持つ北海製罐の第3倉庫も保存・再生に向けて動き出した

老朽化したため解体することをいったんは決めたが、その歴史的な遺産としての価値を遺そうと保存運動が起こり、現在はNPO法人の「OTARU CREATIVE PLUS」が主体となって保存と利活用に向けて地元関係者らが知恵を絞っている。

そのNPO法人の理事でもある白鳥さんは、「小樽の景観を形づくってきた、歴史が染み込んた建物の『場の力』を借りることが、小樽『ならでは』の商品の個性をトータルで出せると思っています」と話す。その土地で長い歴史の風雪に耐えてきた貴重な価値を活かすことこそ、文化観光の大きな資源となりうるからだ。

その信念は白鳥さん自身が積み重ねてきた、「地域ブランドづくり」の体験が雄弁に物語っているだろう。もともとは道東の釧路市で生まれ、12歳から札幌市と小樽市に隣接する石狩市で過ごした。

高校生の頃からインテリアデザインに興味を持っていたが、学生時代は中島みゆきの母校としても知られる藤女子大学で文学部に通いながら独学でデザインを磨こうとし、通信教育でインテリアコーディネーターの資格を取る勉強をしていたという。

本格的にデザインの分野に進んだのは、教材の背表紙に広告で出ていた旭川市の家具メーカー、カンディハウス(当時の会社名は「インテリアセンター」)の製品を見たのがきっかけだったという。今では北海道産の木材を中心に北欧風のデザイン家具を製作している同社は、世界的にも注目されている北海道発の家具メーカーだ。

「ここで働きたいと直談判したほどです。インテリアコーディネーターとして働いたことが転機となりました。特に、ものづくり(公共施設などの空間づくり)の際には『コンセプト』をきちんと読み解いて整理するのが非常に重要だと、たたき込まれました」

地域の文化関係者らとの「横のつながり」で盛り上げる

その後は結婚・出産・子育てなどで6年間のブランクはできたが、家族で住んだ小樽市東部の海沿いにある、「北の鎌倉」と呼ばれている銭函(ぜにばこ)地区で、地元の工務店と一緒にコミュニティスペース「zenibakostyle(ゼニバコスタイル)shop&gallery」を運営するようになったことが第2の転機となった。

当初、そこに入るカフェの企画・運営のほか、カルチャースクールの運営を担当したことで、地元・小樽の様々な文化関係者や工芸品の作家などとのつながりができた。

その銭函の盛り上がりから、百貨店の大丸札幌店で小樽の魅力を伝える企画を担当することに。「小樽らしいお店を集めた企画展『小樽GARAGE』を開催したことで、横のつながりがさらに広がった」という白鳥さんに、店づくりやイベントなどの企画コーディネートで声がかかるようになっていった。

 小樽市も多くの地方都市と同じように、人口減少と高齢化が進んで経済の活気が失われていった。2005年10月には同市内に残っていた唯一の百貨店「丸井今井小樽店」が閉店にあり、115年の歴史に幕を閉じた。

それを惜しむ声もまだ残る2015年に、白鳥さんは地元の有志とともに旧小樽商工会議所(現在は星野リゾートの都市観光ホテル「OMO5 小樽」が入居)で、「小樽DEPARTMENT」と名付けたイベントを企画。歴史的な建造物の中に「カッコいいモノやコト」を集めて販売し、人を集めた。

2015年に3日間だけ開催した「小樽DEPARTMENT」は大盛況だった

「百貨店のなくなった小樽に3日間だけ、デパートを再現する企画でした。歴史ある建物を使って何かをしたいという人は多くて、いろんな人が集まって何かを作り上げていく地域おこしの“一つのカタチ”となる出来事になりました」

こうした体験が現在、白鳥さんがプロデュースするUNGA↑の活動へと昇華してきたのだ。白鳥さんは「小樽出身じゃないからこそ、外の視点も持っている。文化と観光で、小樽という街をどうブランディングしていくかを考えていければ」と話す。

また「自分はつなぐ人」とも解釈しているという。いろいろな役割や技術を持っている人と連携し、鼓舞しながら、潤滑油のような役割を果たしたい。そう白鳥さんは考えて活動しているそうだ。

自分の役目を「人をつなぐ潤滑油」と話す白鳥さん

「コロナ禍もあって苦しい3年間でしたが、文化と観光と経済の振興という点では、少しずつ芽が出ていると感じます」と話す白鳥さんの言葉は、弾んでいるように感じられた。

(文・三河主門)

(文化観光コーチングチーム「HIRAKU」より)
白鳥さんは、UNGA↑を開くにあたり、「小樽らしさ」について考え抜いたそうです。小樽の歴史を徹底的に読み解き、掘り下げた結果、小樽に多くの物資や文化を運んだ「北前船」にたどり着きます。そして、地元企業やクリエーターと一緒に考え、オリジナル商品の開発をはじめました。

これを文化観光の視点でみると、興し手である白鳥さんが「コンセプトを設計」し、「地域で連携する」取り組みをしている姿、と言えるでしょう。
UNGA↑は文化施設ではありませんが、文化と観光で、小樽という街をどうブランディングしていくかを考えている小樽のハブとなる拠点だと思いました。文化を育んでいくのは「人」です。そのことを今回の取材で再確認しました。