見出し画像

文化と観光、文化とマネタイズ

文化観光コーチングチーム「HIRAKU」コーチ
金野 幸雄(一般社団法人創造遺産機構 理事・株式会社つぎと 会長)

<プロフィール>
国土計画家・コンセプター / 内閣官房の歴史的資源を活用した観光まちづくり専門家会議構成員として、全国各地の文化観光まちづくりをコーチングした実績を有する。

そもそも「文化」とは何か。このnoteでも、長島さんがそのように問いかけている。

その定義を100人に求めたならば、100通りの回答を得ることができるだろう。文化を巡る議論の難しさと面白さは、この文化という概念の曖昧模糊とした性質に起因しているように思う。「文化振興」とは何か。「文化芸術」というからには、文化と芸術は別のものなのか。はたして憲法25条に謳う「文化的な生活」とはどのような暮らしなのか。

文化観光推進法の第2条では、「文化観光」を「有形又は無形の文化的所産その他の文化に関する資源(以下『文化資源』という。)の観覧、文化資源に関する体験活動その他の活動を通じて文化についての理解を深めることを目的とする観光」と定義している。ここに「文化」が直接に定義されている訳ではないが、文脈の中に置かれたことで、少し「文化」の輪郭が見えるように思う。もっともこの条文の冒頭は「この法律において『文化観光』とは、」で始まるので、ここで見えた輪郭も、ある種の「文化」に接近したということなのだろう。

ところで、文化と観光はもともと相性が悪い。「文化観光」という言葉を発した時点で怒り出す人がいる始末だ。文化を観光に結びつけてマネタイズしようという企みだから、文化の国に住まいする人の眉間が険しくなる。けれども、その人たちも、別の局面では、(不本意そうにではあるが、)お金の話をする。お金がないと生きづらいし、予算がないと文化振興もできない、そういうことだ。きっと悪いのはお金や観光ではなくて、お金や観光を上手に使いこなせていない我々のほうである。

実は、5年ほど前、政府のとある会議に「文化/観光/まちづくり」と題した小論を提出したことがある。※下記リンク先資料4を参照

ここで、私は、文化とは「ある社会集団(コミュニティ)が自然に働きかけて作り上げた生活様式、行動様式」であると定義していて、「文化」と「観光」が幸福に融合できること、「まちづくり」がその触媒になることを書いている(意味するところは同じなのだが、最近は「従来型の観光ではなく、文化観光という新しい概念を創っていく」という言い方をしている)。

私自身は、2005年頃から、空き家となって廃墟化する古民家等の保存活用事業に取り組んできた。つまり、未指定文化財や登録文化財である歴史的建築物を民間で開発してマネタイズする仕事である。工夫をすれば収支バランスは成立するのだが、ビジネスとしての旨味は少ない。無鉄砲な意気込みがないと始められない性質の事業である。お金を稼ぐのが目的ではないが、お金が稼げないと死ぬ。そして、土地建物の所有者、建築士、工務店、改修した物件の借主や買主、出資者など、お金を仲立ちにしていろいろな人たちと繋がるのだが、お金というのは正直な道具で、お金を介在させることで先方の価値観やひととなりが見えてくる。

具体的には、歴史的建築物を延命して、それをカフェやレストラン、工房やギャラリー、オフィスや住宅、宿泊施設などに活用する。不思議に思うのは、全国には、同じことを官設官営、官設民営で実施している事例(経営条件としては格段に有利)があるのだが、その大半が魅力のない施設となり、経営としても成立していないことである。民間事業としてマネタイズが求められることで、知恵が湧き、プロジェクトに魂が入るということなのだろう。この点は、文化の国に住まう人がもっと考えてよいことだと思う。

この小論の最後のところでは、地域の文化財群を活用したエリア開発には、開発コンセプトの設定が重要であることに触れている(開発によってどのような地域を実現したいのか?)。このことは、博物館や美術館を中核とした文化観光推進事業も同じことで、面的な事業展開のためのコンセプトの設定が重要である。けれども、多くの拠点計画、地域計画にはその文化観光推進のコンセプト(事業によってどのような文化を育みたいのか)が欠けている。

そして、マネタイズが必要だから地域開発のプロジェクトに魂が入るように、マネタイズを計画するからこそ文化観光のコンセプトが明確になるという側面がある。我々にとってお金とは、事業の目的ではなく、関係者を仲立ちする単なる道具なのだが、お金にはそのような効用も備わっているようである。