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歩け、歩け! 門前町トレイルのススメ

「長野」と聞いたとき、私たちの多くは何を思い浮かべるだろう。

壮麗な山々と針葉樹の森、りんごにシードル、蕎麦と野沢菜とわさび漬け、そして、もちろんワイン――。豊かな自然は、文化や歴史と調和しながら、質実かつ勤勉な心を育んできた。夏は爽やかな風が渡り、冬には厳しくも美しい雪景色が広がる。47都道府県のなかでも屈指の好感度を誇るこの県は、「移住したい都道府県」調査でもNO.1の常連()だ。

けれども、もちろん、それらは「イメージ」に過ぎない。土地の本当の味わいというのは、足で歩いてこそ見つかるものだ。「暮らすように旅する」のが理想だとすれば、たとえ時間がなくとも、せめて「ウロウロ」はしてみたい。行き交う人々がまとう空気、地元の商店の品ぞろえ、路線バスの雰囲気。そんななかにこそ、「生の息づかい」が感じられるものだと思っている。

聖地への道

かくして、「長野」である。

長野県ではなく、長野市。
なかでも長野県立美術館のお膝元エリアであるJR長野駅周辺地域のアイコンとなっているのは、かの名高い善光寺だ。特定の宗派に属さない無宗派の寺として、1400年の長きにわたり民衆の心の拠り所となってきた日本屈指の古刹である。

間口に対する奥行きが圧倒的に長く、かつ三方向に開放されたこの寺の雰囲気は、その存在意義を象徴するかのように厳かでありながら開放的。背後から信州の麗しい山並みに抱かれたおおらかな姿に魅了され、世界中から大勢の人々が訪れる。

ゆえに、JR駅周辺から寺にいたるまでの約1800メートルの道のりは、今も「参道」であり、徐々に厳しくなる坂道は世界中でよくみられる「聖地へのタフな道のり」に他ならない。古今東西、人々は身を整え、腹ごしらえし、こころを引き締めて、聖地への最後の厳しい道のりにチャレンジするものなのだ。結果、神社仏閣の周辺では、建物や神具、仏像などのメンテナンスを支える産業だけではなく、衣食住に関わる生活文化もまた花開き、町は栄えてゆく。

ミュージアム「門前町」礼賛

「世俗とは一線を画するこころのためのパブリックな施設」という意味では、美術館もまた、現代においてある種の聖域のようなものだと思うことがある。大規模であれば、アクセスの悪い場所に設立されることも少なくない。そして、そうした館の周辺には、やがて地域をけん引する存在感のあるカフェができたり、センスの良い文具店やアート感覚のブティックが越してきたり、デザイナーのアトリエが集まりはじめたりすることも多い。

その点、善光寺の真裏という好立地にある長野県立美術館への道のりは、元来が本物の参道だ。車社会への移行により、一度はかつての輝きを失ったとしても、そこには数多くの歴史的建造物が点在し、伝統ある商店や地域の文化を担うビジネスが今も続いている。少し脇道をゆけば、おしゃれなショップなども増えてきたそうだ。近年、改めて整備されたという長野の「聖地への道」は、よそ者の私の目にはかなり魅力的に映っていて、車で目的地に直行直帰というのは、実にもったいないというのが実感である。

というのも、参道というのは、「精神の旅」でもあるからだ。「たどりつく」ことで、そして、その場の空気を感じとることで、少しずつこころの準備を整えてゆく――。そんな世界共通の聖地巡礼のセオリーは、現代の「美の聖域」に共鳴するプロセスともなり得るのではないか。そう考えてみると、「美術館が街にでてゆく」こと、「価値観や美意識を街と共有する」ことの意味が、市場原理よりさらに深層においても、ふと垣間見えてくるように私には思えるのだ。

文化観光コーチングチーム「HIRAKU」コーチ
生駒尚美(プロデューサー/キュレーター)

<プロフィール>
1987年より、旧・セゾングループの文化担当。文化施設の企画・運営、ならびに芸術助成事業に専従した後、2003年に独立。数多くの文化芸術系企画に関わるかたわら、クリエイターや企業のイメージ戦略上のコンサルティングなども行う。一方で、「五感の開花」や「幸福感」をテーマに、多数のエッセイやコラムも執筆。著書に『美しき絆のビジネス~仕事で幸せになる秘訣~』(繊研新聞社)他。日本アートマネジメント学会正会員。一般社団法人シンクネイチャーアーツ&デザイン代表