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【クラフトフェアまつもと】「いいね!」を直に届けられる。作り手と使い手のしあわせな関係(前編)

クラフトフェアは、陶器や木工など、さまざまな手づくりの工芸作品を展示・販売するイベントです。

近年は、全国各地で開催されていますが、その先駆けは、1985年にはじまった長野県松本市の「クラフトフェアまつもと」です

松本市のシンボル「あがたの森公園」を会場に、多いときは2日間で7万人を動員する人気ぶり。地域活性化も後押しするこのイベントの歴史には、文化観光や地域創生にまつわるたくさんのヒントが隠されています。

そこで今回は「NPO法人松本クラフト推進協会」代表理事、伊藤 博敏(いとう ひろとし)さんにインタビュー。「クラフトフェアまつもと」の誕生から、現在に至るまでのお話を聞きました。

伊藤 博敏さん
石のアート作品を手掛けるストーンアーティスト。東京芸術大学を卒業後、地元・松本市で五代続く「伊藤石材店」を継ぎ、自らの作品もつくり続けてきた。「クラフトフェアまつもと」には第一回から参加し、現在は代表理事を務める。

お客さんと、一対一の会話ができる場所

「知らない人たちが、自分の作品を見ながら、話してる…!」

1984年のある日。できたばかりの「松本PARCO」地下スペースで、まだ20代の伊藤さんの胸は高鳴っていました。作り手として、はじめてクラフト展へ参加したときでした。

「自分の作品を並べて、座っているだけでしたけど、通りすがりにお客さんが私の作品を見てくれて、感想を話してくれるんですよね。それがとにかくうれしかった。そのとき作品が売れたかどうかは、あまり覚えてないです(笑)」

当時の工芸作家が作品を発表する場があるとしたら、人間国宝になるような著名な作家が、百貨店や有名なギャラリーで個展を開く、といったケースがほとんど。伊藤さんのような若手作家が、自分の作品を発表できるような場所はなかったといいます。

自分の作品を見てもらえて、作り手と買い手が、直に話せる。その空間がとても気持ち良かったですね。クラフト展というものに、すっかり魅了されてしまいました。」

そして、伊藤さんは、その場で「第一回クラフトフェアまつもと」の出展者募集のチラシを受け取ります。クラフト展のスタッフの中に、「クラフトフェアまつもと」の立ち上げメンバーがいたのです。

今度の会場は、「あがたの森公園」になると書かれていました。伊藤さんはさっそく、参加を決めます。それと同時に、「一体、どんな人たちがこういうイベントを企画しているんだろう?」と、運営側にも興味が湧いてきました。

初期のクラフトフェアまつもと

県外の人から教えられた、地元の魅力

「第一回クラフトフェアまつもと」に参加した伊藤さんは、その運営メンバーが、すべて長野県外から来た人たちだと知って、驚きました。てっきり松本市在住の作家たちが立ち上げたフェアだと思っていたからです。

「でも、それが良かったんです。彼らに、外から見た松本の魅力を教えてもらいましたから。」

伊藤さんは、生粋の長野県民であり、松本生まれの松本育ち。
「私にとっては当たり前すぎて、松本の良さが見えていなかったんですよ。」

松本は、かつて城下町として栄えた地域。家具、石、木工、漆など、全国各地から匠の技を持つ職人たちが集まる場所でした。今でも、素晴らしいものづくりの文化が根付いています。

そんな松本の人たちには、職人の手仕事で、丁寧につくられたものに囲まれて過ごしてきた文化があります。だからこそ、松本でクラフトフェアをはじめることには大きな意味がありました。

そして、松本市出身の伊藤さんも、運営側に加わるようになりました。松本が培ってきたものづくり文化をつなぐという意味でも、クラフトフェアは大きな役割を担っています。
現在は、参加の応募数が1200を超え、競争率5倍という狭き門ですが、最初の参加者は45名だったそうです。

「クラフトフェアまつもと」の賑わい

好きなものをつくり続ける作家を応援

「クラフトフェアまつもと」は、発表の場がない、個人の工芸作家を応援するためにはじまったイベントです。「新人も、ベテランも、同じ場所で勝負できる場所」だと、伊藤さんはいいます。

また、作り手と使い手だけでなく、作り手同士の交流が生まれることも、クラフトフェアの面白さです。伊藤さん自身も、フェアでさまざまな作家と知り合って、制作のヒントをもらうこともあったそう。

作り手と使い手の交流

「クラフトフェアは、個性的な作家さんたちと知り合えるチャンスの場でもあります。私は、石を使った作品をつくりますが、木工や金属などの多素材を使う作家さんからアイデアをもらい、それらと組み合わせた作品も作るようになりました。クラフトフェアに参加したことで、表現の幅がぐっと広がりましたよ。」

作り手と使い手の交流

地元とのつながりは、ゆるやかにはじまった

とはいえ、苦労もありました。初開催から38年たち、今では松本市にとって、なくてはならないイベントとなりましたが、最初から歓迎されていたわけではなかったようです。

「地元の人たちは『なにをやっているんだろう…』という感じで、遠巻きに見ていましたね。」

しかしながら、回を重ねるごとに、クラフトフェアの参加者も、来場者も、どんどん増えていったそう。2年目の参加者は85名、5年目は150名。10年目にはクラフトフェアに出店したいという応募者が300名を超えて、選考も取り入れるようになります。

クラフトフェアが盛り上がり、松本市に全国から人が集まってくるようになると、だんだん地元の人たちの見る目も変わっていきました。「面白そうなことをやっているな」と、地元からの参加者も増え、商店街などから「一緒にやりたい」という声もかかります。

2002年には、子どもたちがクラフトを体験できる「クラフトピクニック」がスタート。2007年には「工芸の五月」がはじまり、松本市が一丸となって取り組むイベントに広がりました。

クラフトピクニック
工芸の五月

※「工芸の五月」は、クラフトフェアと連動し、松本市内のギャラリー、博物館、美術館、商店街などを会場にさまざまな企画展が開かれる催しです。

全国のバイヤーが集まる場所に。作家のチャンスも広がった

やがて、まだ世に出ていない優れたクラフト作品をいち早く見つけようと、全国から百貨店やショップのバイヤーが集まるようになります。

「個人作家を応援したい」という気持ちで続けてきた伊藤さんたちにとって、これはとてもうれしいことでした。

「知り合いに、熊本で焼き物をつくっている作家さんたちがいて、ずっと『東京で展示会をしたいんだ』って言っていたんですよ。でも、なかなかそのチャンスがなかった。ところが、彼らの一人が、私たちのクラフトフェアに参加したことで、東京のバイヤーさんの目にとまってね。それをきっかけに、彼らも東京で展覧会ができることになったんです。これは、私もうれしかったですね。やっと、個人作家さんのチャンスを広げられるようなイベントになってきたな、と。私たちの夢が実現しつつある手ごたえを感じています。」

一方で、海外のバイヤーが作品を一気に買い付け、転売されるという事態も起こっているそう。伊藤さんたちは、作家に注意を促していますが、売る・売らないの判断は、本人にゆだねているそうです。
意図しない売られ方ではなく、作家の想いが尊重され、しっかりと還元されることを願ってやみません。

かつては城下町として栄え、匠の技を持つ職人が全国からやってきていた松本市。500年の時を経て、「クラフトフェアまつもと」が、その歴史をつないでいます。

「クラフトフェアまつもと」の賑わい

(文化観光コーチングチーム「HIRAKU」より)

伊藤さんは、文化の担い手(アーティスト)と興し手(松本クラフトフェアを企画/運営)という2つの顔をお持ちでした。
第1回フェアにはアーティストとして参加し、「若い頃に自身の作品を初めて来訪者に見てもらったときの感動が忘れられない」といいます。
 
伊藤さんのご経験を文化観光の視点で見てみると、発表の場が少ないアーティストにとっては「社会的に評価を受ける場」になります。また、来訪者が作品を購入したり、バイヤーが買い付けを行ったりすれば「仕事を持続的に作る」ことになります。

一度訪れてみて気に入り、毎年訪れる人も出てくるでしょう。この中から、自らもクラフトを本格的に始め、アーティストを目指す人が出てくるかもしれません。

クラフトフェアのような場は、「文化の担い手となる人を増やす場」になると思います。こうした小さな活動が文化を振興していくのだ、とお話を伺いながら強く思いました。

(後編につづく)