見出し画像

【クラフトフェアまつもと】日本初のクラフトフェアが38年も続いている5つの理由(後編)

長野県松本市の「クラフトフェアまつもと」は、1985年から続く、日本初のクラフトフェアです。(前編記事はこちら)

多いときで約7万人の来場者が訪れるこのフェアの開催日は、「工芸の五月」として地元商店街や自治体と一緒に、松本市全体を盛りあげてきました。

その成功の秘けつを探るため「NPO法人松本クラフト推進協会」代表理事、伊藤 博敏(いとう ひろとし)さんにインタビューしました。

ご自身もストーンアーティストとして活躍されている伊藤さんに、「クラフトフェアまつもと」が大切にしてきたことをお聞きし、文化観光や地域振興のヒントとなるポイントを紹介します。

伊藤 博敏さん
石のアート作品を手掛けるストーンアーティスト。東京芸術大学を卒業後、地元・松本市で五代続く「伊藤石材店」を継ぎ、自らの作品もつくり続けてきた。「クラフトフェアまつもと」には第一回から参加し、現在は代表理事を務める。

ポイント① 参加者をルールで縛りすぎない

「クラフトフェアまつもと」は、発表の場をもたない個人の工芸作家を応援するためにはじまった展示販売会です。
運営する伊藤さんたちは、フェアを立ち上げた当初から「参加者(作家)の自主性を尊重する」ことを大切にしてきました。

「最低限のルールは守ってもらいますが、それ以外は作家さんに任せます。」

そのため、自分の作品を手に取ってくれる人に、ギターで歌をプレゼントする人や、コーヒーを入れてごちそうする作家もいたといいます。また、初期のころは、中央の広場で現代舞踏をはじめる方もいたとか。

作家が自由に表現できる場所をつくったことで、非日常の空間が生まれ、クラフトフェアを自然と魅力あるイベントに押し上げてくれました」と伊藤さん。

「アートや伝統工芸という枠にとらわれない、自由なものづくりがクラフトです。手づくりでもいいし、機械を使ってもいい。新人も、ベテランも、同じ場所で勝負できる懐の深さが、クラフトフェアの特長です。」

ポイント② 地域との連携は、焦らず、ゆるやかに

今や、松本市全体をまきこむ一大イベントになっていますが、地域との連携は、はじめから意図していたわけではなく、自然に、ゆるやかに始まっていったそうです。

「最初のうちは、地元の人たちの視線は『何をやっているんだろう』という、いぶかしげなもので、決して温かくはなかったですね(笑)」

ところが回を重ね、毎年多くの人たちが訪れるようになると、「面白そうなことをやっているな」というふうに、地元の人たちの見る目は変わってきました。そして、地元からの参加者も増え、商店街からも「何か一緒にやりたい」と声がかかるようになったそうです。

「うれしかったですね。クラフトフェアの盛り上がりを、地元にも還元できたらいいなと、ずっと思っていましたから。」

工芸の五月

一方、「クラフトフェアまつもと」に人が集まるようになるにつれ、渋滞問題も深刻化してきました。これを解消するには、市や街の協力が欠かせません。また、せっかく全国から人がやってくるイベントですから、フェアだけで完結するのはもったいない、と伊藤さんたちは考えました。

「工芸のまち松本」を全国に広める、絶好のチャンスでもあります。そこで2007年、NPO法人松本クラフト推進協会と松本市がタッグを組み、「工芸の五月実行委員会」を発足します。

「工芸の五月」は、クラフトフェアと連動し、松本市内のギャラリー、博物館、美術館、商店街などを会場にさまざまな企画展を開く催しです。「工芸の五月」がスタートしたことで、クラフトフェアは、本格的に街を巻き込むイベントに変化していきました。

市の呼びかけによって、商工会議所や美術館、市の交通部局、バス会社、JRなどとの連携も実現。課題となっていた渋滞対策を実施し、松本のまちをより楽しんでもらうための交通整備や「工芸の五月」を盛り上げる企画が次々と実施されていきました。

「実は、クラフトフェア自体の来場者数は、少し減ってきているんです。でも、これはうれしいこと。なぜなら街は盛りあがっていて、『一日目はクラフトフェアへ行って、二日目は松本市内を観光しよう』という流れができあがっているからです。地元の商店街からも、『ここを歩行者天国にしよう』『作家さんとコラボして、お店で工芸の器を出してみよう』など、いろいろなアイデアが出てくるようになりました。」

また「工芸の五月」は、連携しているそれぞれの組織が自発的に活動していることもポイントです。

JRは駅構内で広報イベントをやったり、バス会社は期間中のバス便を増やしたり、近隣の商業施設がクラフト関連イベントをひらいたりしてくれています。」

クラフトフェアを地道に続けてきたことで、地元とのつながりも、ゆるやかに形づくられていきました。

ポイント③ 次の担い手を育む努力

「クラフトピクニック」でクラフト体験をしている参加者

2002年には、派生イベントとして「クラフトピクニック」がはじまりました。これは、クラフトを「つくる」体験ができるワークショップです。

「クラフトピクニックをはじめたきっかけは、自分たちの子どもの成長です。ものづくりができるような年齢になってくると、『この技術や文化を、次世代に伝えていかなければいけないね』という話が出てくるようになりました。昔は、子どもが大人の仕事をじっと眺めていることもできたけど、今は安全第一でしょう?ものづくりの現場は『危ないから行ったらだめだよ』っていわれるようになってしまいました。だから、『子どもがものづくりに触れられて、実際に体験できるような場をつくりたいね』という意見が出て、『クラフトピクニック』がはじまりました。」

お蚕さんの繭から糸を取り出す実演をしたり、直径数メートルもある大木を、大きな鋸で引かせてみたり。ものづくりの仕事を直に目にすることで、工芸に興味を持つ子どもが増えたそうです。

「ある木工作家さんのところには、『いつになったら僕を弟子にしてもらえますか?』と、頼み込んできた小学生もいましたよ(笑)」

文化を次世代につなげる取り組みをしてきたことも、クラフトフェアが長年続いてきた理由の一つだと感じました。

ポイント④ デメリットをメリットへ

松本市は、かつて城下町として栄えてきた街です。そのため、敵に簡単に侵入されないように、わざと入り組んだ構造になっています。
道が細く、折れ曲がっていて、歩きづらい一面もあります。でも「そこが逆に魅力なんです」と、伊藤さんはいいます。

「道がまっすぐではなく、見通しが悪いからこそ、『この先を曲がったら、次は何があるんだろう』ってワクワクさせる効果があるこれが街中の楽しい回遊につながっています。

また、会場となっている「あがたの森公園」の立地も、市内の回遊に大きく貢献しているとのこと。

『松本駅』『松本城』『あがたの森公園』ちょうど三角形になっていて、歩いて回れるちょうど良い距離。その間には、歴史ある街並みを楽しめる場所や、すてきなお店がたくさんあります。」

はじめから意図していたわけではないということですが、「あがたの森公園」を会場にしたことで、街歩きも楽しみながら回遊できる仕組みが、自然にできあがりました。

あがたの森

ポイント⑤ 運営側が楽しむこと

インタビューをしていて、何よりも印象的だったのは、運営している伊藤さんたちが楽しんでいることでした。

「いろいろな人がいるから、もちろん意見がぶつかることもあります。でも毎回、フェアの当日がすごく楽しいから、わだかまりは残りません」と、笑う伊藤さん。

はじめから長く続けようと気負っていたわけではなく、「楽しいから来年もやろう」を、一年一年、積みあげてきたことが、38年という長い足跡になっていったのでしょう。

また、「クラフトフェアまつもと」の実績から、全国の自治体や町おこしに取り組む団体から、アドバイスを求められることも多いといいます。

「『地域振興につながるイベントをやりたいけど、何を打ち出せばいいでしょうか?』と聞かれることもあります。でも、それについては、自分のまちを知ってるというときには、あなたがたの街のガイドブックに載っているところだけが街の魅力ではない。たとえば、先ほども言いましたが、松本市の入り組んだ道の構造は、それだけを取り上げると、一見デメリットです。ところが、回遊という効果を生み出しています。こんなふうに、どこの地域にも必ず魅力があるはず。それを見つけることが、第一歩だと思います。」

(文化観光コーチングチーム「HIRAKU」より)

後編では、興し手(松本クラフトフェアを企画/運営)としての伊藤さんのお話より、クラフトフェアが38年も続いてきた理由をまとめています。

松本駅から離れた、町の端にある公園で「何やら面白そうな取り組みをしている」ことに地域の商店街やショッピングセンターが気づき始め、バス会社も、市内にある美術館・博物館も連携していきます。やがて、街の中では、クラフトフェアの季節になると至るところに賑わいが生まれるようになりました。 
 
文化振興では様々なプレーヤーとの連携が欠かせないと思いますが、その流れが自律的に始まっているところが松本クラフトがうまくいっている秘訣なのだと思います。

また、ものづくりの「技術や文化を、次世代に伝えていく」ことが必要だという思いからはじまった「クラフトピクニック」。これも、未来の「文化の担い手を育みたい」という強い思いが、長く続いている理由の一つでしょう。
 
松本クラフトフェア推進協会自体は、文化施設ではありません。ですが、彼らもまた文化の興し手の1つと言えるでしょう。
長い年月の間試行錯誤し積み重ねてきた歴史のなかには、文化に関わる人を増やし、地域にお金を循環させていくヒントが詰まっていると思うのです。
クラフトフェアの営みも、文化観光の1つの姿であると言えるのではないでしょうか。