
「博物館の未来に文化観光がもたらす価値」2024年全国博物館大会リポート(後編)
文化観光をテーマに長野県松本市で2024年11月27日~29日に開かれた「第72回全国博物館大会」では、基調講演に続いてパネルディスカッションも行われました。文化観光の意義について文化庁側から解説したほか、地元の長野県博物館協議会や松本市教育委員会からも同県内の博物館と文化観光事情について説明がなされました。
文化を未来へ継承する新たな挑戦
文化庁 博物館支援調査官 中尾 智行

「地域の文化を100年先、1000年先の未来に継承していくために、私たちは今、思い切った一歩を踏み出す必要があります」
会場に集まった博物館関係者に、中尾氏はこう呼びかけた。博物館や文化財保護の現場では、「観光」という言葉に対して根強い違和感があり、「文化財の破損」や「文化の本質が歪められてしまうのではないか」といった不安の声がある。自身も学芸員として働いていた中尾氏にとって、それは文化の守り手としての真摯な使命感に根ざすものであり、よく理解できるという。
しかし2020年(令和2年)4月に成立した文化観光推進法は、そうした違和感や懸念に新たな展望を示すものであるという。
「文化観光は、文化観光推進法の第二条に示されている通り、『文化についての理解を深めること』を目的としています。その取組においては、文化資源の保存と修復が大前提とされており、保存を顧みない活用を推し進めるものではありません。この法律の本質は、博物館や寺社を文化観光の拠点として位置づけ、地方創生の核とするとともに、文化を継承するための好循環を形成していくことにあります」と説明した。

文化資源の魅力を多くの人々に伝え、その価値への理解を深めることで、保存・継承の意義も広く共有される。それが新たな文化の創造や発展を促し、さらには国際相互理解にもつながっていく。中尾氏は、こうした保存と活用の循環を生み出すことこそが文化観光の真の目的だと強調した。
文化観光の4つの目標と新たな文化の創造・発展
中尾氏はさらに、文化観光が目指す「4つの目標」を示した。①好循環の創出、②連携体制の構築、③文化理解、④来訪者の増加――。特に②連携体制の構築で要となる“地域との連携”について、「博物館だけでは魅力ある文化観光は実現できません。取組を持続化、活性化するためにも、地域の文化観光推進事業者や自治体、そして何より地域住民の皆さんとの協働が不可欠なのです」と強調した。
また講演で中尾氏は「文化資源」について、建造物や美術品だけでなく、風俗慣習や民俗芸能、さらには名勝地まで、幅広い範囲を包含する概念だと解説したうえで、「資源」という言葉に込められた意味を丁寧に解きほぐし、「石油などのように消費される資源のような産業的観点からの意味合いではありません。大切なのは地域で受け継がれてきた文化を「地域の活性化に寄与する資源」として機能的観点から捉え直すことです」と説明した。
「文化」を起点に、地域の観光や地域の経済につなげ、文化への再投資を促す好循環を生み出すこと。それが100年先、1000年先にわたって文化を継承することを目指す文化観光推進法の狙いだと主張した。

博物館が文化観光を通じて得られる新しい姿
2022年に改正された「博物館法」にも触れ、文化観光の位置づけを明確にしたことについて解説した。博物館が単なる観光施設になるのではなく、地域の多様な施設や機関と連携しながら、文化観光その他の活動を通じて地域の活力向上に寄与すること」。それが新しい博物館に求められる姿だという。
また、中尾氏は「価値の共有」という重要なキーワードを投げかけた。歴史的・学術的な客観的価値だけでなく、来訪者一人一人が感じる主観的な価値。その多様な価値を意識しながら広く共有していく仕掛けが、文化を未来に継承していく鍵になるという。
そのためには展示の解説や紹介、ホームページなど、あらゆる発信で顧客目線を持つことが重要だと述べ、解説文やプロジェクションマッピング等の工夫で展示資料が持つ多様なストーリーを来訪者に伝えることを事例を挙げつつ示した。
また、来訪者への“タビマエ”の情報提供については「インバウンド旅行者に向けた外国語の利用案内ページ(ウェブサイト)をみていると、建物の外観写真ばかりを掲載する博物館が多いのですが、旅行者が本当に知りたいのは『そこで何が見られるか、どういう体験ができるか』なのではないでしょうか」と指摘。「情報提供の在り方においても顧客目線を持つことが必要です。それほど大きな手間や費用をかけずともすぐに改善できることも多くあり、そうした姿勢や取組が博物館にとってより良い未来を開くはずです」――。この言葉には多くの参加者がうなずいていた。
講演の最後で中尾氏は、地域の歴史と文化の独自性を強調した。自治体の中にある「まち」「集落」といった小さな単位の中にも、それぞれが固有の魅力を保有している。その保存と活用の拠点である博物館が、まちづくりや地域の活性化など、地域の未来に貢献することが期待されている。
「地域固有の魅力を守り、活かし、未来につなげていく。それこそが文化観光の真髄であり、博物館に期待される新しい役割でもあるのです」と中尾氏は締めくくり、文化観光推進法への取組は博物館の振興にもつながると、改めて強調して講演を終えた。
地域の思い受け継ぎ発展させる長野県の博物館
長野県立歴史館特別館長・長野県博物館協議会会長 笹本 正治 氏

▼長野県の博物館施設における文化観光の取り組み(講演要旨)
長野県は登録博物館、博物館相当施設、博物館類似施設を合わせて341施設を有し、全国で最多の博物館数を誇る。このうち長野県博物館協議会への加盟施設は131館である。同県では複数の村が公文書館を設置しており、地域学習の基盤が整備されている。
注目すべき事例として塩尻市立平出博物館がある。1949年(昭和24年)、当時の宗賀村において、戦後の教科書の記述に疑問を持った教員と生徒たちが地域の歴史を知るため、発掘調査を要請した。村は総予算(当時)の8分の1に相当する125万円を投じ、考古学、文献史学、建築学、民族学、地質学など、多分野の専門家による総合調査を実施した。
この調査を契機として、1954年に平出遺跡考古博物館が開館。1979年には歴史民俗資料館が、1992年(平成4年)には近隣の菖蒲沢窯跡から発見された最大級の瓦塔の展示施設として瓦塔館が開館した。現在はこれら3館を統合し、塩尻市立平出博物館として運営されている。
▼生きた博物館「妻籠宿」の文化観光的な価値
文化観光の観点で特筆すべき事例に、長野県南木曽町の取り組みがある。江戸時代の宿場町の景観を残す南木曽町の「妻籠宿(つまごじゅく)」は、海外からの観光客も多く訪れる。そこにある「南木曽町博物館」は、妻籠宿の歴史と文化を理解するための学習施設として設置された。
同館の特徴は、地域の生活文化に根ざした解説方法にある。例えば、建物の壁の下部が光沢を帯びている理由を、女性たちの日常的な清掃活動の痕跡として説明するなど、地域住民の視点に立った解説を展開している。
一方で、県内の博物館は運営面での課題も抱えている。市町村合併や財政的制約により、存続が困難になる施設も出てきている。特に小規模自治体では、文化財の保護・管理に必要な予算や人材の確保が課題となっている。
従来の博物館運営の在り方を見直す必要性が指摘される中、各施設は限られた資源で文化財の保護と活用のバランスを模索している状況にある。
「松本まるごと博物館構想」推進で見えた松本市立博物館の文化観光
松本市教育長 伊佐治 裕子 氏

▼松本市の概要と博物館事業の現状(講演要旨)
松本市は2021年度より中核市に移行した人口約23万人の都市だ。「山岳」「音楽」「学び」の「三ガク都」を特色とし、社会教育施設数は中核市の中での平均を上回る。市内の博物館数は私立を含め26館を数え、うち16館が市条例に基づく公立博物館である。
松本市立博物館の起源は、1906年(明治39年)に旧開智学校校舎内に設置された「明治三十七、八年戦役記念館」に遡る。日露戦争に出征した卒業生の資料や写真を展示する教育施設として始まり、外国の風俗を示す資料も充実したことから一般にも公開された。
1948年(昭和23年)に松本市立博物館と改称。その後、市の財政悪化を受けたが、財団法人日本民俗資料館の資金により、地方都市としては大規模な総合博物館が建設された。同財団は広域的な観光事業も担っており、博物館は観光施設としての性格を強めていった。
▼市民参加型の活動と新しい松本市立博物館
しかし、バブル経済崩壊後の観光需要減少により、博物館の存在意義が問われる事態となった。この状況を受け、2000年(平成12年)に「松本まるごと博物館構想」が策定された。これは博物館と地域の自然・文化・産業遺産を有機的に結び付け、市民の生涯学習と地域振興に寄与することを目指した構想である。
松本市は2013年、地域文化財調査を担う組織を設立。市民主体の郷土学習を推進し、その成果を文化財冊子やマップとして公民館や小学校の教材に活用している。
市民の主体的な学習活動は、友の会の設立や市民学芸員の養成にも発展。これらの活動は、改正された博物館法が示す方向性とも合致している。
2023年(令和5年)10月に開館した新館では、以下の特徴的な施設・機能を備えている。
・1階に交流スペース、子ども向け展示室、喫茶コーナーを設置
・日本最大級の城下町ジオラマを常設展示
・市民学芸員による展示解説および現地案内の実施
新館は「ひと・もの・ことをつなげる」をコンセプトとし、交流型ミュージアムとしての機能を重視している。市民の地域理解を深め、自発的な地域貢献を促す拠点として位置付けられている。
(了)
(取材・文:山影誉子、文・構成・編集:三河主門)
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