「輪島塗」の背景にある文化をつなげて地域を振興
全国各地で伝統産業や地域の振興に力を入れる民間企業が、文化観光の担い手として存在感を高めつつあります。江戸時代からの伝統を今に伝える北陸・能登の「輪島塗」もその1つ。新しいデザインとコミュニケーションで海外にも広がる製品を作り続けてきた輪島キリモト(石川県輪島市)の桐本泰一さんは、文化と人をつなげることで輪島市のある「奥能登」の観光や経済の振興に力を入れています。
ライブコマース実現する「漆のスタジオ」で漆器文化を発信
石川県輪島市の中心部から車で約5分、輪島バイパス沿いにある輪島キリモトの輪島工房には2022年7月に開店した「漆のスタジオ」(本店)がある。
単に同社が製造した漆器や漆を塗った雑貨などの商品が置いてあるだけの店舗ではない。漆のスタジオ(本店)と、隣接する工房内をバーチャル・リアリティー(VR)技術で360度の全方位をくまなく、立体的に観察することができるうえ、高精細なカメラを駆使した遠隔会議システムを備えてあるのが特徴だ。
「このシステムはノルウェーの首都オスロに本社を置くスタートアップ、ニートフレーム(Neatframe)社の技術を導入しました。コロナ禍のテレワークで一般的になった「Zoom」などにつなぐと、スタジオ内の空間を非常にきめ細かな高精細の画像で映してくれます。海外のお客様にもとても好評で、『漆の質感までわかってありがたい』と褒めてくれる方が多いんですよ」
輪島市で200年以上、「木と漆」の製品づくりに携わってきた桐本家の7代目にして、輪島キリモトの現代表である桐本泰一さんは、そう紹介しながらスタジオ内を歩く。
すると、カメラが自動的に桐本さんを追いかけていき、その表情や手にとった製品の鮮明な映像を音声とともに映し出す。漆器を購入したい人は、漆のスタジオにある製品を見ながら、説明を受けながらライブコマース(ライブでの商品購入)ができる。
「この漆のスタジオに機能を集約して、東京事務所を引き上げました」と桐本さん。今では新たに開設した漆のスタジオ(本店)を旗艦店として世界に輪島塗の魅力を発信している。
日本古来の自然や風景が残る奥能登が外国人を魅了
「日本では漆器の価値が、一般的には低く見られている傾向がある」と、桐本さんは主張する。むしろ、海外の方のほうが漆器や漆を使った製品のことを非常によく学んでおり、知識も豊富だという。
「国連大学欧州事務所の副学長であるShen Xiaomeng(シェン・シャオメン)さんがここを訪れた時、漆器についてだけでなく『その背景にあるものを、もっときちんと伝えるべきだ』とおっしゃっていただきました。その意味でも文化的なバックグラウンドを発信することが大事だと思って漆のスタジオのような拠点を設けたのです」
能登半島の北端に近い、日本海に面した輪島市は、北前船が盛んに往来した江戸期から奥能登の寄港地として発展した。輪島塗も江戸時代前半から技術的な進化・発展を遂げ、丈夫で長持ちする輪島漆器は海運の隆盛とともに全国へ販路を拡大していった。
「輪島に来て『ほっとする』という外国人の方は多くいます。東京は落ち着かない、京都などの日本らしさにはどこか作られた感じがある、だけど輪島市や珠洲(すず)市など奥能登まで来たら『これぞ日本の本来の風景だ』と喜ぶ海外の人が実にたくさんいるのです。そういう人に奥能登の食や宿、自然の良さを感じて観光を楽しんでもらいたいし、それを演出する漆の器をつくり、文化を発信することを目指しています」
輪島市で代々にわたって「木と漆」の製品づくりに携わってきた桐本家。江戸時代後期から明治・大正にかけては輪島で漆器づくりを生業(なりわい)としてきたが、昭和の初めに木を刳(く)ることを中心とした朴木地(ほうきじ)製造の「桐本木工所」に転業した。
桐本さんの父である6代目の俊兵衛(としへい)氏は、昭和30年代後半からの日本の高度経済成長期に、朴(ほお)木地加工の技術を活かして漆を塗ることを前提とした家具木地製造にも乗り出し、家業を発展させてきた。
新デザインのプロデュースに、伝統を重んじる人から反発も
桐本さん自身は筑波大学で生産デザインを勉強したのち、オフィス家具メーカーに就職。2年間働いたが、「就労時間が長く(残業も多くて)、6年分は働きました」と当時を振り返る。
25歳で輪島市にUターンし、木地師として4年半ほど修行を積んだ。その後は木地の造形デザインや、漆器製品のデザイン・監修を手掛けるようになった。現在は工房内6人の職人、市内で協力してもらう14人の職人と一緒に漆器作品をつくって世に送り出している。
コンセプトは「いつもの暮らしの中に『木と漆』を」で、食器や漆工芸雑貨などのほかに、漆を使った内装材などの製造・販売も手がける。「伝統的な考えが強固な業界で、木地屋がデザインから木地、漆器を一貫して作るというのは反発がとても大きかった」と、桐本さんは振り返る。デザイン提案から製品づくりまで一貫して担当する「デザインプロデューサー」という仕事が当時、地元ではまだまだ認知されなかったようだ。
だが、平成7年(1995年)からは、経済産業省、石川県、輪島市などの支援を受けて輪島塗の再興を考える勉強会などを開催し、若手の有志を集めてデザインの重要性や新しい作品づくりを刺激するプロジェクトを仕掛けてきた。
こうした取り組みは2011年に「輪島漆再生プロジェクト実行委員会」の設立に結びついた。桐本さんは同会の委員として、輪島漆の再生に関わる一方、「輪島クリエイティブデザイン塾」の塾長を務め、輪島塗に携わる若手の育成と意識改革に力を入れ、毎年開いてデザイン力のほかマーケティング力、コミュニケーション力を高めて「売れるものづくり」の指導をしている。
「地元の伝統的な人々に反対されてきた30代の頃は、自分ひとりが『何とかしなければ』と思っていました。しかし個人ではやはり限界がある。力のある若手と一緒に、チームで何かを成し遂げていく、それが重要だということに気づきました」
若い作家の発表の場と観光客の興味を結ぶ「わじま工迎参道」
輪島塗の新しい伝統を築いてきたこうした取り組みを、地元の文化観光支援にもつなげている。その一つが「わじま工迎(こうげい)参道」だ。
もともとの狙いは、地元の輪島市や奥能登にある街の活性化を目指して、力のある若手の漆器作家の作品を展示しながら、作り手(作家)と買い手が交流できる場づくりを発案してのことだった。お盆や地元の夏祭りなどがある、観光客が多い時期に開催してきた。
「若い作家が作品を発表する場を設けてあげたい、という気持ちもありました」と桐本さん。きっかけは、長野県松本市で開催された「松本クラフトフェア」を訪れ、市民や観光客がフェアの会場となった公園から街に回遊していく様子を見て、「輪島でもこれをやれば、観光振興にもつながるのではないか」と考えたからだった。
まずは企画展の印刷物を輪島市内、石川県内に配るという、自分たちの予算内でできる範囲から取り組みを始めた。
これまでコロナ禍前に輪島市内で5回開催し、コロナ後の取り組みとして2023年1月には大阪の大手百貨店(阪急うめだ本店など)でも「わじま工迎参道」と銘打って作家の作品を催事販売し、輪島塗と輪島市の観光をアピールした。チラシ印刷代金、会場装飾費など40万円のうち、半分は輪島市の補助金を活用したという。
2023年はまた、8月に輪島市で3年ぶりに開催が決まった「キリコ祭り」でも、わじま工迎参道を展開して、観光客の誘致に輪島塗の魅力を活用する予定だという。
「自分ひとりでは限界があっても、人と人とをつないでいくことで、新しい可能性が広がり、面白いコミュニティができます。これをもっと広げていきたいですね」と、桐本さんは意欲を見せる。
輪島塗の背景にある文化・伝統こそ海外に伝えたいストーリー
こうした文化観光の取り組みを、輪島キリモトは海外向けにも展開しようとしている。漆のスタジオ自体も海外とのオンラインでのコミュニケーションを狙ったものの一つだ。作品の解説や実際の説明、視察に来る外国人の案内は、英語講師だった桐本氏の妻と東京スタッフの鈴木が担当している。
さらに、息子である桐本滉平さんも、海外マーケティングに協力しているという。滉平さんは文部科学省の官民協働海外留学創出プロジェクト「トビタテ!留学JAPAN」でフランス・パリに留学。パリの目抜き通りで日本の漆器を販売していた店でインターンとして働き、店頭で漆について説明することで多くの商品を販売した。滉平さんはデザイン・ディレクターとなり新ブランド「IKI -by KOHEI KIRIMOTO」を2018年に発表したり、現在は異業種交流からの刺激を昇華しながら、自分が考える新たな漆の創作活動を継続している。
「日本人の控えめなところは美徳かもしれませんが、自分たちの仕事についてきちんと伝えることが大事だと、息子から学びました」と、桐本さんは話す。初めて輪島塗に触れる外国人にも、漆器の質感や機能性、デザインの魅力や色との相性の良さを説明できなければ、購入してもらうことはできず、興味を引くことはできない。
桐本さんは「輪島塗の背景にある、歴史や文化、それらのストーリーをしっかりと伝えていくこと。それが文化を伝えることであり、伝統産業の振興ではとても大切なのだと思います」と話す。食材と自然の宝庫である奥能登を、輪島塗の伝統・文化とともに伝えていくことが、新たな地域振興を刺激する一助になりそうだ。
(文・三河主門、撮影/構成・西野聡子)