長野県立美術館が挑むオリジナル商品づくり、「地元発ワイン」で地域プロデュース学ぶ
2021年(令和3年)にリニューアルオープンした長野県立美術館。長野県で唯一の県立美術館として、県内の文化観光拠点計画の中核となっています。同美術館を起点に、長野市最大の観光名所「善光寺」に隣接する地の利を生かして周辺エリアに回遊を促そうと奮闘する中で、観光県・長野をプロデュースする新しい商品づくりも強化しています。
「景観に調和する美術館」ワインで表現
2024年9月7日の夕刻、長野県立美術館(以下、長野県美)の屋上広場「風テラス」。笠原美智子・館長による乾杯の発声とともに、約400個のワイングラスが高く掲げられた。
グラスに注がれたのは、長野県美がつくったオリジナルワイン「NAM(ナム)」。文化観光に力を入れてきた同美術館が「地域プロデュース」の一環として新たに製作した商品だ。今回開催されたイベント『ランドスケープ・ミュージアム × 風テラスワイン』は、この新ワインのお披露目も兼ねている。
新ワインづくりに協力したのは、長野県北部の高山村に拠点を置く信州たかやまワイナリー。ワイン用ブドウの栽培者13人による出資をきっかけに、2016年に設立された。標高差のある村内の各地で育った多様なブドウを使い、高山村や近郊の住民を雇用しながら、まさに地域に根差したワインづくりをしている。
「当館の『ランドスケープ・ミュージアム』というコンセプトは、実際に来て、見てみればわかりやすい。善光寺や長野市を囲む山々などの景観(ランドスケープ)に溶け込み、調和しています。それを何かモノや、カタチで表現できないかと思った時に、長野で育ったブドウで作るワインはどうかと考えました」
長野県美の米山秀明・副館長兼広報・マーケティング室長は、オリジナルワインを製造することになった経緯をこう振り返る。「高山村のワイナリーから長野市方面を見下ろす先に、美術館があるんです。『ああ、これだ』と。美術館から見て景観の一部でもある高山村で育ったブドウこそ、オリジナルワインにピッタリだと感じました」
老朽化で来館者漸減が続いた前身・信濃美術館
2021年4月にリニューアル開館した長野県美。その前身は1966年(昭和41年)に財団法人として開館し、1969年に長野県に移管された「長野県信濃美術館」だ。1987年に日本画の巨匠、東山魁夷(1908 - 1999)が作品を寄贈し、「東山魁夷館」を1990年(平成2年)に開設したことで注目を集めた。
その東山魁夷館は、1990年度には年間約46万人の来館者数を集めたが、以後はおおむね右肩下がりで減少。「東山魁夷展」が開催された年には同30万人を超えることもあったが、2015年度には善光寺の「御開帳」と東山魁夷館の25周年記念展があったにもかかわらず、来館者数は約16万7000人にとどまっていた。
翌2016年度は「ジブリ展」開催などが奏功して25万人超となったが、老朽化が進み、バリアフリーなどの対応もおくれるなどで施設の補修と充実が急務となっていた。東山魁夷館は2017年5月末から、本館は同年10月1日から休館とし、建て替え改修に入った。両館の合計延べ床面積は従来の2.5倍にあたる約1万2000平方メートルに拡張することとなった。
家族づれ・若者ターゲットに周遊化を狙う
東山魁夷館がリニューアルして開館したのが2019年(令和元年)10月5日。そして旧・信濃美術館が「長野県立美術館」としてリニューアル開館したのが2021年4月10日だ。長野県美が開館する前年にはコロナ禍にも襲われたが、長野県や長野市、観光関連団体や商工会議所など各方面から「本館建て替えを機に文化観光拠点として高い集客効果が見込めるのではないか」との期待は高かった。
「ランドスケープ・ミュージアム」をコンセプトに周辺の美しい景色との調和を目指して設計された長野県美は、立地する城山公園に子供たちが親しめる噴水などの装いも新たにし、子育て世代の家族づれや若年層をもターゲットに来館者の拡大を図ってきた。
長野県美として開館した2021年度(令和3年度)の来館者数は、展示(常設展、企画展、交流展、移動展)や学習交流・ライブラリー利用、貸し館を含めると36万1371人、2年目の2022年度は善光寺の御開帳なども追い風となり38万5043人となった。さらに美術館の無料ゾーンへの来場者を含めると、2021年度は78万7263人、2022年度は88万9817人となっており、善光寺から美術館付近へと周遊する人の流れが徐々に拡大する傾向も出てきた。
ただ、持続的に来館者数の増加を図るには、リニューアルだけでは心許ない。長野県美は年間600万人超の参拝客が訪れる善光寺から徒歩1〜2分の距離にあり、観光客がアクセスしやすい場所にある。
しかし周囲は善光寺の門前町で、「夜になると客足が途絶えてしまう場所でもありました」と、米山氏は説明する。近隣には新しい飲食店やショップも増えているが、「そのまま善光寺周辺で食事やお酒を楽しむ観光客が増えるまでには至っていません。新たな観光スポットである長野県美が、地元住民だけでなく、国内外から来る観光客にも気軽に立ち寄れるような場となって地域内での回遊性を高められたら、と考えました」(同)。
オリジナルグッズづくりで先陣、地元を巻き込む
より賑やかな「まちづくり」に貢献したい――。そのような思いから、長野県美は文化観光推進法に基づく拠点計画を申請。それが認められて、2021年から文化庁の文化観光コーチングを受け、観光周遊の起点となる文化観光拠点としての“磨き上げ”を目指してきた。
その中で重視してきた施策のひとつが長野県美のオリジナル商品づくりだ。米山氏は2022年度から副館長に着任して、県や市、観光の関連団体、商工会議所などと議論を重ねてきたという。
当時の状況を「みんな地域活性化に本気で取り組みたいと考えているのに、何から手を付けていいのか分からず、自らは一歩を踏み出せないような状態でした」と米山氏は話す。そこで長野県美がその先陣を切ってみようと、まずは美術館で販売しやすいオリジナルグッズの製作に取り組んだ。
最初に手掛けたのは、2023年7月1日から8月27日まで、前期・後期に分けて開催された『葛飾北斎と3つの信濃 ― 小布施・諏訪・松本 ― 』の特別鑑賞券とポスターのセットを、地域で受け継がれてきた和紙「内山紙」でつくることだった。
内山紙は、高級和紙の原料として代表的な楮を100%使用し、繊維を雪にさらして白くするなどの独特の技術でつくられる。日焼けしにくく長持ちするため環境にも優しく、2023年開催の「先進7カ国(G7)長野県軽井沢外相会合」の手土産に添えるカードにも選ばれた。
米山氏らは文化観光コーチングを受ける中で「北斎展のグッズを製作したい」と提案。コーチからは「ここでしかできないもの、長野らしさを感じられるものを考えてはどうか」とのアドバイスをもらったという。「北斎といえば和紙。それなら長野県奥信濃の伝統工芸品である内山紙を使って何かつくれないか、と考えました」(米山氏)
内山紙でつくったB3サイズの和紙ポスターと和紙の特別鑑賞券がセットで3300円だ。鑑賞券は回収せず、記念に持ち帰ることができるようにした。
このほか長野県内の金型製造企業に製造を依頼し、北斎の有名作品『神奈川沖浪裏』のレリーフ・チョコレートもつくり、展覧会の期間中に販売した。
高山村のワイナリーと地元産ブドウで企画
「地元に声をかけて協力し合えば、新しいアイデアが生まれ、グッズがつくれる」――。この経験で勢いがついた長野県美が、次のオリジナル商品として目をつけたのがワインだった。
米山氏は「文化観光の初年度を担当した前任者がつくった資料を探していると、美術館オリジナルワインという企画を見つけました。『ランドスケープ・ミュージアム』というコンセプトを活かし、その長野で育ったブドウで作るワインはどうか」と着想した。2023年の夏ごろだったという。
同年10月、前任者の時代から相談を持ちかけていた信州たかやまワイナリーを訪れ、企画を提案した。「美術館のオリジナルワイン」をつくるのは難しそうにも思えるが、「実際にワイン醸造はプロに任せられます。美術館のコンセプトに適うブドウ品種のブレンド割合や、ラベルを美術館が考えることで、オリジナルワインを生み出せるのです」(米山氏)。
周囲の山並みとの調和を重視し、長野県美から望める高山村にある信州たかやまワイナリーと組むことにした。長野県美のワイン醸造を担当した同ワイナリーの田口いづみ・醸造統括は「2種類のシャルドネとピノ・グリ、計3種類を組み合わせてはどうか」と提案した。
2種のシャルドネは、それぞれの別の栽培者が標高の高い畑と、低い畑でそれぞれ育てたもの。シャルドネは高山村の代表的な品種でもあり、さわやかな酸と柑橘類やリンゴを思わせる果実感が持ち味だ。「あえて標高差のある場所で栽培したシャルドネを組み合わせることで、長野県美が望める“高山村らしさ”を表現してみようと思いました」(田口氏)
2024年2月下旬には長野県美や文化観光の関係者がテイスティングをして、シャルドネとピノ・グリの比率を決定。2023年秋から醸造を始めた。
オリジナルワインの「顔」となるラベルは、長野県美の所蔵作品を用いるなどのアイデアもあった。ただ、権利取得の関係で時間がかかりそうになったると思われたため、長野県美のロゴを考案したデザイナーの宮崎桂氏に依頼し、「NAM」のロゴが連続して全面に並ぶラベルを採用することに決定した。美術館の所蔵品をラベルに使うのは「いつか実現したいテーマです」と米山氏は話す。
「美術館初のワインづくり」は順調に進んだものの、いざ美術館での販売を考える段階になって思わぬハードルも立ちはだかった。ワインはアルコールなので、売るには「酒類販売業免許」が必要となる。そこで長野県立美術館内のミュージアムショップを運営する企業に酒類免許の取得を依頼したという。「免許の申請には販売場所の公図や登記簿が必要ですが、周囲の知恵も借りて、なんとか申請書を提出できました」と、米山氏は苦笑する。
「できないこと」は地元のプロに頼む
長野県美の文化観光コーチングを担当してきた金野幸雄氏は「米山さんの推進力と“巻き込み力”で、これまでアイデアだけで前に進まなかったオリジナル商品づくり、ワインづくりなどが形になりました」と述べる。
米山氏は「美術館が単独でできることには限界があります。商品づくりやイベントの開催なども、実現するためには地元の専門家・プロの意見を聞きながら、『よかったら手伝って』と参加をお願いしてみる。それで盛り上げていけたらと考えてきました」と、地元のプロを支援者として巻き込んできた経緯を説明する。
こうした“巻き込み力”は、今回のイベント開催でも効果を発揮した。会場となった屋上広場「風テラス」は、善光寺を東から望める場所にある。そこで、この日限りの“しかけ”として、善光寺に夜間のライトアップも依頼したのだ。
善光寺の側面を照らす今回のライトアップは珍しく、「普段のお付き合いから善光寺さんにお願いしたところ、ご快諾いただいて、照明など必要な設備を当館が借りて善光寺に提供して実現しました」と米山氏は説明する。
イベントを午後5時30分から同7時30分までの夕方〜夜の時間帯に設定したのは、「美術館を将来的には夜も楽しめる場にしたいとの思いを実験する機会でもありました」と米山氏。「イベント帰りに『善光寺周辺エリアでもう1杯飲んで帰る』ことで周辺の飲食店に立ち寄る人の流れを創り出せるのではないかと考えたのです」(同)
当初イベントには200人の来場を予想していたが、3000円(軽食+ワイン1杯)としてチケットの売れ行きは好調で、最終的には400人の来場者数となった。会場では追加の「もう1杯」を求める人の行列もできた。
参加者からは「初めて長野ワインを飲んだけど、おいしい」(30代女性)、「風テラスに初めて来たのですが、こんな寛げるスペースだとは知らなかった。また訪れたいですね」(70代男性)といった声も出た。
さらに、長野県美の学芸員やスタッフも総動員してイベントを開催したことで、米山氏は「美術館の学芸員やスタッフにとっても、屋上広場にこれだけの人が集まるんだという、新鮮な驚きや前向きな刺激があったと思います」と振り返る。
収益のプールでオリジナル商品づくりを継続へ
オリジナル商品づくりで、長野県美は「強く意識したわけではないが、結果的に長野県や長野市の地場企業などと連携することになりました」(米山氏)。県立の美術館として、オリジナル商品を通じた地域プロデュースが芽吹いた格好となった。
米山氏は「実はワインづくりそのものには、それほど予算はかかっていません」と述べる。ワイナリーが受注生産したワイン「NAM」を、ミュージアムショップの運営企業に仕入れてもらい、共同でワインを販売し、売り上げの一部が美術館に入るという形にしたからだ。
ただ、今後も「NAM」をつくり続ける、あるいは他の商品企画によって地域プロデュースを進めていくには、その原資の確保も課題となる。県立の美術館では、収益が出ても来期の予算に回すのは難しい面があるからだ。
米山氏は「地域と連携できるオリジナル商品づくりを継続していくためにも、販売による利益をプールする受け皿を整備し、次年度の新たな商品企画の原資にする方法なども模索したい」と話し、新たな活路を見出そうとしている。
今後は、ワイン「NAM」をはじめ、オリジナル商品を販促していくことも課題の一つだ。「NAM」を1本5000円と比較的高めの価格設定としたのは、お土産やプレゼントとして購入されることを想定しているからという。
今後、観光客に向けてワインを含むオリジナルグッズをどのようにマーケティングしながら、新たな魅力を生み出した美術館をどのように発信していくか。「私たちの広報・マーケティング室の手腕が問われます」と、米山氏は気を引き締めていた。
(取材・文・写真:山影誉子、文・編集・構成:三河主門)
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